いきなり私の愚痴から始まるが、先月末に私が勤めている会社で4月から8時間から5時間に勤務時間を変更すると言われた(会社の都合なので別に私が何かやらかしたとかではないです)。それに伴い出勤日数も半減するとのことで当然ながら給料も半分以下になってしまうのだが、それを言われたのが一ヶ月前ならともかく4月直前に言われたので、正直ビックリしたと同時に余りにも納得がいかなったので上の人にクレームを言いに行った。
一応納得のいく答えが得られたので溜飲を下げることは出来たのだけど、収入が減ることに変わりはないし、当分は節約をする必要があるため予定していた太秦映画村行きの計画は泣く泣く中止することに。
はぁ~…。映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」とのコラボ企画が開催されると知って楽しみにしていたのにさ、給料が減るとなったら行く訳にはいかないでしょ?だってまず太秦映画村に行くまでの交通費でもざっと1000円以上はかかるのに、入場料で2400円、更にグッズやコラボメニューなんかを買えば優に1万円は超えるのだから、気前よく散財なんて無理ですよ。もう、血桜パフェ食べてみたかったのに…。
ク・ソ・が!!(怒)
誰が言ったか知らないけど「人生はクソゲー」とはよく言ったモノで、真面目に働いていてもこういう理不尽なイベントが起こるからホント困ったものだ。
そしてゲームと言えば、昨日から放送がスタートした日テレ制作の日曜ドラマ「ACMA:GAME アクマゲーム」、間宮さんのファンなら当然リアタイ視聴しましたよね?
聞くところによると、今回のドラマは日テレが力を入れている大型企画のようで、昨今のドラマには珍しいVFXを駆使した原作漫画の実写化。世界配信もされるみたいだからそんな企画の主演に我が推し・間宮祥太朗さんが起用されたというのは実に喜ばしい話だ。
とはいえ、放送枠は日曜ドラマ、あの世間を騒がせた「セクシー田中さん」の原作者の自殺の記憶がまだ新しい。今回の実写化に対しても追い風となる好意的な意見だけでなく、原作改変に対して批判的なコメントや炎上を煽るような動画が放送前からネット上でアップされているのも確か。
当ブログでも過去にこの問題について私なりの意見を述べたけど、では今回のドラマにおける改変についてどう思ったか、本編の内容に触れながらその是非について個人的意見を述べようと思う。
(以下、原作を含むドラマのネタバレあり)
原作の照朝とドラマの照朝
初回は原作1巻のエピソード。主人公の織田照朝が突如現れたヤクザ一家の御曹司からアクマゲームを仕掛けられるというのがざっくりとしたあらすじだが、このヤクザ一家の御曹司、丸子光秀は原作だとイタリアマフィア「ベルモンドファミリー」の御曹司、マルコ・ベルモンドに相当するキャラクターで、悪魔の鍵を入手した経緯や他の企業の財産を奪いまくっている目的は原作とは全く違っている。あいにく原作はまだ3巻までしか読んでいないのでこの辺りの改変については詳しく語れないのだが、ドラマは初回の段階で黒幕となる崩心祷を登場させているから、恐らくその影響で動機や鍵の入手経緯を大幅に変更したのではないかと考えられる。
他にも改変ポイントは色々とあるのだが、何と言っても一番注目すべき改変ポイントは、原作の主人公・織田照朝の設定を大きく変えたことである。この改変について先に結論として私の意見を言っておくと、私は今回の改変は好意的に受け取っている。それを説明するために原作とドラマの照朝を比較しよう。
原作の照朝は容姿端麗・頭脳明晰・運動神経も抜群の高校三年生で、しかも亡き両親の事業を継承して日本有数の大企業・織田グループの総会長としてその巨大な屋台骨を支えている。更に照朝の下にはCIAさながらのチームがいて彼をサポートしているという、もう余りにも設定盛り過ぎのチートキャラで「なろう系小説」の主人公かよ!と原作を読んだ時に思ったくらいだ。
まぁこれは漫画作品なのでこういう過剰なキャラ設定は別に本作に限らず他作品でもよく見られる傾向だし、主人公を頼りないキャラにするよりもスーパーマンとして描いた方が読む側としても安心感があることに加えて、心から応援することも出来る。
設定盛り過ぎのスーパーマンとは言ったけど、原作では一度会社が破綻寸前まで追い込まれたのにもかかわらず三年で一流企業にまで持ち直したそうだから、そう考えると中学三年の時から事業経営のことで血の滲むような経験をしたことは間違いないし、決してチープなスーパーマンでないことだけはハッキリ言っておくよ。
ただこの設定はあくまでも漫画として有効なのであって、これをそのままドラマ化すると余りにも浮世離れした「嘘くさいキャラ」になっていたと私は思うのだ。
ではドラマの間宮さんが演じた照朝についてここから言及していくが、ドラマの照朝は父親が亡くなった後、会社の重役に言いくるめられた結果織田グループはその重役に乗っ取られるという悲劇の主人公として描かれており、当初から頭脳明晰だった訳ではなく、海外での艱難辛苦に満ちた放浪の旅によって精神・肉体・頭脳が鍛えられたという形で改変された。それに伴ってか、原作では1巻の時点で悪魔の鍵を所有していなかったのに対し、今回のドラマでは父親から悪魔の鍵を譲り受け、父親を殺した男の正体を追いながら鍵の秘密を探る旅をしていたという設定が追加されている。
この辺りの改変は海外ロケをしたことで視聴者にもその苦労がわかりやすい形で伝わるよう考えられた作りになっていたと思うし、両親を喪い、汚い大人たちによって財産(株式)をむしり取られながらも、父の教えに従い欲に溺れることのない人格者としてアクマゲームに挑むという、実に地に足の着いた主人公として描かれていたので私は非常に好感が持てた。原作の照朝も苦労人だけど、ドラマの照朝も苦労の質が違うというだけで苦労人であることに変わりはないし、視聴者が感情移入出来るキャラになっていたと評価したい。
ただここで一点指摘しておく。原作はマルコが一方的に会社に乗り込んでアクマゲームを仕掛けて来たため、照朝は会社とそこで働く社員を守るためにゲームに挑むのだが、今回のドラマでは悪魔の鍵の秘密を探るために照朝自身が丸子をおびき出しているため、原作とドラマとでは照朝がゲームに挑む姿勢や目的が異なっている。
原作の照朝は最初の段階から会社とそこで働く人々の暮らしを守るヒーロー、スーパーマンとして確立して描かれている分、ドラマはまだヒーローとして弱いというか、個人的事情で動いている面が強いし、特別失うものが多い人間でもないので、ここは原作と比べると劣ってしまうと感じたかな。でもこの後の展開次第では背負うモノも増えてくるだろうし、もっとヒーローとしての魅力が出て来るだろうから期待しておこうではないか。
「真偽心眼 True or False」
本作の肝となるアクマゲームは悪魔がディーラーとなってゲームを取り仕切るのは勿論、従来の「カイジ」や「ライアーゲーム」といったデスゲーム・心理戦・頭脳戦にはない、各プレイヤーが所持する悪魔の能力を用いたゲーム展開が見所となっている。今回行われた「真偽心眼 True or False」も、言ってみれば相手の言ったことがウソかホントか当てるだけのシンプルなゲームだ。それがこれだけ面白いゲームになったのには特殊能力というスパイスが効いているからであり、それをここからは解説しようと思う。
まず照朝は相手がどれほどの頭脳の持ち主かを探るために以下の問いを投げかけた。
Q:今、このカップの下には五百円玉がある
普通ならカップの下に五百円玉があるかないかを聞かれているだけ…と思ってしまうが、劇中で丸子が指摘したように、
・硬貨がクロスについていくのが見えた→カップの下にはない(ウソ)
・カップの下はその延長線上である机の下の床やデスクの中も含む→カップの「下」にある(ホント)
・「今」というのは出題時の0.4秒の間だけを指す→その時点でカップの下にない(ウソ)
という具合に一つの質問にいくつもの企みが仕組まれているのが凄い所で、頭脳戦として読者も考えられる作りになっていたことにまず関心した。
そして丸子のターンでは、
Q:この部屋を中心として半径1㎞の球状範囲内にコンビニエンスストアは4軒以上ある
という問いが提示されたが、出題者側が操作出来る余地がないほぼ絶対的な事実(=ホント)にもかかわらず答えはウソであり、次の照朝のターンで出題された
Q:このクロスの下に爆弾※1がある
は照朝と一部の人間しか知り得ない事実(=ホント)なのにウソが正解となった。ここで「絶対的事実がウソとなっている謎」が出て来ることで照朝はピンチに陥るのだが、この矛盾した謎から丸子の真の特殊能力を推理で当てるというこの展開が実に見事。「出題された問題の真偽」だけでなく「特殊能力の真偽」という二重の True or False が仕掛けられていたというこのプロットはミステリとして読者(視聴者)の意表を突く仕掛けになっていたと思う。
私なんかこの特殊能力を完全に鵜呑みにして「部屋寒くして相手の思考を鈍らせるとか、せこい戦術だな…ww」と思っていたので、この真相と推理※2には唸らされたよ。
言うまでもなくこのゲームはウソかホントかを当てるだけなので当てずっぽうでも50%の確率で当たるという部分はあるのだが、照朝は推理によって相手の特殊能力を完全に見破った上で最後の問いを投げかけ、結果丸子を欺いてゲームの勝者となる。
最後の問いの決め手は五百円玉が偽物だったというズルいと言えばズルい手なのだが、ここで照朝が最初にした出題を思い出すと、あの問いは「五百円玉の有無を問う問題」であると同時に「五百円玉が本物かどうかを問う問題」でもあった。つまり、カップの下に出題された「今」の時点で五百円玉があったとしても、それが本物でない場合五百円玉はないのと同じだから、照朝としてはそこまで疑ってかかる人物かどうかを見極めるために偽の五百円玉※3を使ったことになる。
※1:原作では「銃」であり、会社の下には秘密の武器庫があったのだが、それにしても日本の会社なのに武器庫って、それ銃刀法違反なのでは…??
※2:ドラマではチョコレートの袋が気圧差で膨張しなかった事実を加えて照朝の推理を補強しているのが地味ながらも良く出来た改変になっていた。
※3:ちなみに、紙幣や硬貨と紛らわしい見た目の物品を製造することは「通貨及証券模造取締法」で禁止されている(財務省のHPを参照)ので、くれぐれもマネしないように!
さいごに
初回の感想は以上となるが、全体的に見るとドラマは原作通りやると嘘くさくなる設定を地に足の着いた設定としてうまい具合に改変していて、ドラマならではの見せ場(例えばゲーム開始前のギリシャ語の宣誓)もあって原作既読でも退屈しなかった。
「セクシー田中さん」の一件で改変について過剰反応気味になっている人も多いのは仕方ないにせよ、個人的に一言物申したいのは、あの一件の何が問題かって原作者の意向・要望を無視した改変が行われたことが問題なのであって、原作者が了解しているのなら改変自体は何の問題もないし、その良し悪しを決めるのは個人の自由だ。だから「私はこの改変は気に入らない」と主張するのはまだしも、それをあげつらって「原作を改変しているからまたドラマ制作陣は原作者を蔑ろにしている!」と扇情的にコメントするのは結局原作にもドラマにも向き合っていない、不誠実で卑怯な物言いだと私は思う。
原作者のツイートを見た感じ、少なくとも今回のドラマは脚本で揉めている様子はないしドラマを応援しているみたいなので、私も引き続きこのドラマを応援していきたい。
(勿論、後になって「実は放送当時は言えなかったけど…」というツイートが流れる可能性も考えてはいる)