タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

映画「屍人荘の殺人」を今更レビュー(ネタバレあり)

屍人荘の殺人

そういう訳で約2年以上もお蔵入り状態だった映画「屍人荘の殺人」をようやく見た。私が前の職場を辞めた2019年に発表された作品だったのだな~と振り返りつつ特典のメイキング映像やらビジュアルコメンタリーやらもちゃんと視聴したよ。

 

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以前映画館で見た時の感想もあるけど、今回はネタバレありの感想ということで。

 

(以下、原作を含む映画のネタバレあり)

 

早速批評に入ろうと思うが、まずは登場人物について。原作では神紅大学の大学生だけなのに対し、映画では原作の一部登場人物の設定を変えて部外者を介入させているのが特徴の一つとして挙げられる。それに伴って展開も一部変更されているが、部分的な改変とはいえ一応理に適った改変になっている。

その改変というのは、序盤から最初の進藤殺しにおける流れだが、原作であった腕時計の盗難エピソードがカットされている。これは本作のワトソン役である葉村のパーソナリティーと密接に関わる出来事だが、映画だと尺に収まらないこともあってカットされ、それによって連鎖的に展開が改変されているのが面白くも良く出来た所だったのではないかと思う。連鎖反応の影響で当然明智の役割も原作と違っている部分はあるが、個人的には映画版の明智の方が印象に残りやすい脚本になっていたかなと評価しているのだ。

 

勿論全て良かった訳ではなく、原作の被害者(特に立浪)の過去に関する描写がカットされて単なるクズになっていたのは残念なポイントだし、最後の剣崎の「あげない」の下りも原作と比べて不自然な流れになっているのは否めない(車に乗ってた自衛隊員が気付かない訳がないでしょ!)。とはいえ、映画という限られた時間枠の中で、それも犯人当てのミステリとして制作された映画として十分面白い出来になっているし、木村ひさし監督のプロレスネタだったり剣崎の雲竜型といった謎の追加演出・設定といった夾雑物も気にしなければどうということはない。

 

あと映画館で見た時の感想とかぶるけど、やっぱり本作とTRICKシリーズって関連する所があって、そこの親和性が自分には心地よかったかな。原作を重点的に支持するならあの極限状況下でふざけたような行動をとったり感情が緩むような場面があるのは容認出来ない演出だけど、エンタメ作品と割り切ってしまえる範囲内ではあるし、シリアスとのメリハリは一応ついているので、好みの問題として私はOKだったと評価したい。

続編となる「魔眼の匣」や「兇人邸」も映像化してもらいと思う一方、前者は映像映えしない作品だし、後者は映像映えするけどスプラッター要素が強いから、う~ん。正直映像化しない方が賢明だと今は思う。改変次第ではどうにかなるかもしれないが。

 

(ここから事件のネタバレになるため一応伏せ字)出目による腕時計の盗難エピソードをカットした分、映画では出目を部外者として登場させているが、出目を進藤殺しにおけるスリードのゾンビとして配置しているのが巧い所で、劇中でも出目が進藤を襲っていないことが論理的に説明されている。

そして盗難エピソードがカットされてしまったため、明智の探偵としての推理力を披露する場もなくなってしまうのかと思いきや、静原が犯人であることを事件が起こる前に見抜いていたという展開を追加し、明智が「迷」ではない名探偵だったことが示され面目が保たれているのが素敵だったな。特に序盤の大学の場面で「迷」の部分が強調されていた分、余計に引き立っていた感じがする。

原作でミスリードとして配置されていた葉村の嘘に関しては、正直小説を読んだ時どうもあざといというか、腕時計を取り戻しにいったことを隠す必要があまりないように思ったので、そこがカットされた件については別に問題ないかなと思った(元々一種の叙述トリックだから、どっちにしろ映像化は難しい部分だけど)。(伏せ字ここまで)

夏休み期間中の今推したい名作ドラマ「のんのんばあとオレ」

今年は水木先生の生誕100周年、ということで何かそれに関することを当ブログで言及したいと思ったので、今回はかつてNHKで放送されていたドラマのんのんばあとオレを紹介しよう。

 

「のんのんばあとオレ」「続・のんのんばあとオレ」2巻セット

のんのんばあとオレ」は1977年に筑摩書房から発刊された水木氏による自伝的エッセイで、漫画版は講談社から刊行されている。ドラマは1991年に放送され、翌年に続編となる「続・のんのんばあとオレ」が放送された。

ドラマは漫画が原作となっており、内容はほぼ原作準拠。劇中では「小豆はかり」や「べとべとさん」といった様々な妖怪が登場するのだが、実写ドラマにアニメの妖怪が合成されるという今ではちょっと珍しい手法がとられており、そこが他のドラマにはない独特の味わいがあって面白い。

妖怪が登場するので当然本作はフィクションであるが、主人公の村木茂は幼少期の水木氏だし、のんのんばあこと景山ふさも実在していた人物だ。だから本作はフィクションとノンフィクションが混じった物語ということで、これも本作の独自性の一つといえるだろう。

 

ストーリーは村木少年の日常という形で進んでいくため、実に色んなことが起こる。隣町のガキ軍団との抗争があったり、銀行員の父親が副業で映画館を始めたり、また細かい所ではドーナツを買いに隣町へ歩いて行ったりと日常のちょっとした出来事やイベント、更には大小様々なハプニング・トラブルが起こる。また都市部では見かけない地方ならではの風習なんかも作中では出て来るので、そういう民俗学的な面白さもある。

一応縦軸となる物語はあって、一つは病気の療養で境港にやって来た千草という女性との出会いと別れ、そして「続」の方では石や草木と会話が出来る不思議な少女・美和との出会いと別れが縦軸として描かれる。どちらも一人の女性と出会い、そして別れてしまうため悲しいといえば悲しい話ではあるが、悲しみの中にもわずかながらに希望というか去り行く者への祈りが込められていて、決して悲しいだけの物語ではない。

 

見所は人によって違うだろうが、今私が人におススメするとするならば茂の父親・望が登場するシーンは是非とも見てもらいたい。必要以上に子供を押さえつけない寛大さがありながらも、知性のある諭し方を心得た茂の父親の人柄は正に理想の父親だし、こんな名言メーカーみたいな人が実際いたのかと思うと驚くばかりだ。水木先生も勿論凄い人だけど、父親も凄い人だったから大成することが出来たのだと思うし、幼少期の教育や環境の大切さが窺える。

寛大な父親と武士の家系でしっかり者として育った母親・道という村木夫妻のバランスの良さは原作でも描かれているが、ドラマではオリジナルの追加シーンがあってそれがより補強されているのがまた良い所だ。それを示す場面はいくつもあるが、一例として印象的だった場面を挙げてみよう。

 

それは、望が銀行の宿直を朝の7時までいなければならないのに、怖くて早引きしてしまい銀行をクビになるという場面だが、それを知った望の父(茂の祖父)が怒って村木の家に乗り込んで来る。望の方は生来「なんとかなる」精神の人間なのでクビになったことは仕方ないとして流そうとするが祖父は当然カンカンで道に対しても夫の躾がなってないからこうなったと責めるのだが、「夫が臆病なのは本人だけのせいではない」と言い、「このくらいのことでクビにする支店長は上司としてはちょっとねぇ」と平然と返す。この平然と切り返す道の豪胆さが小気味良くて、望と相まって夫婦として抜群だなと思った。

 

他にも面白いポイントや語りたい所は色々あるが、くどくど述べるよりまずは見てもらいたい。原作へのリスペクトが感じられる秀逸な映像作品だ。

 

※2022.08.27 追記

漫画版をドラマ化したものと思っていましたが、漫画版はドラマを元に制作されたものです。NHKで放送された「100分de水木しげる」で知ったので、お詫びして訂正いたします。

【金田一少年の事件簿】シリーズ最新作「八咫烏村殺人事件」を徹底批評!

予告していた通り、金田一少年シリーズ30周年最新作の批評をやっていきますよー!

 

(以下、事件のネタバレあり。今回は根本尚『怪奇探偵・写楽炎』シリーズの「蛇人間」についても言及するので未読の方は該当の項目を読み飛ばすことをお勧めします)

 

八咫烏村殺人事件」

金田一少年の事件簿30th(1) (イブニングコミックス)

シリーズ30周年記念として新たに発表された「八咫烏村殺人事件」は今年の1月から7月末にかけて全14回の構成で連載された長編作。長編としては48作目(小説版も含めると56作目)にあたる今回の事件は熊野古道で有名な和歌山県、それも近い内にダムの底に沈む村(もちろん架空の村)を舞台としている。

 

ダムの底に沈む村というと泡坂妻夫『湖底のまつり』を思い出すし、昨年フジテレビで放送されたドラマ「死との約束」(原作はアガサ・クリスティの同名小説)では和歌山の熊野古道を舞台にしており劇中で八咫烏が思わぬ形で利用されていた。

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とはいえ今回の物語とは一切関係ない。ダム・和歌山つながりとして以上の二作品を紹介したかったというだけの話だ。

 

話を戻そう。剣持警部の友人・滝隆之介が亡くなる直前に八咫烏村で起こった弁護士失踪事件の再捜査依頼の手紙を剣持に送り、その依頼を受けてはじめと美雪は剣持と共に神話の故郷・八咫烏村を訪れるというのが本作のあらすじだ。

死者からの調査依頼というクリスティの『復讐の女神』的な導入で物語は始まるが、事件自体は純和風テイストの殺人事件で、村に伝わる八咫烏の伝承になぞらえたような連続殺人が起こる。特に本作では次々とさらし首が出てくる事件の状況から、横溝正史の短編小説「首」を思い出した方もいたのではないだろうか?

 

〇登場人物一覧(括弧内は年齢)

八咫烏荘〉

日鷹イネ(85):女将。知不美の祖母。

三鴨早紀(40):仲居。悠人の母。

鷲見翔平(38):従業員。

花鳥知不美(28):元八咫烏神社の巫女。“村仕舞い”のため手伝いとして村に戻っている。

 

八咫烏神社〉

鷺坂葵(20):巫女。

 

烏守定男(75):村長。

黒羽六郎(52):元村会議員。ダム建設では中立的立場をとっていたが…。

江鳩つむぎ(33):黒羽の秘書。

鵜ノ木源太(40):村役場職員。ダム建設の推進派。

三鴨悠人(18):村で唯一の高校生。早紀の息子。

 

男鹿田一志:弁護士。6年前に八咫烏村の旅館で姿を消し、以後行方不明。

滝隆之介:故人。剣持の大学時代の友人で和歌山県警捜査一課の刑事。死の直前に剣持に弁護士失踪事件の再捜査を依頼する。

 

事件解説(生首だらけの連続殺人)

Who:江鳩殺しの密室トリックが実行可能な人物、泥の足跡

How:生首を祭壇に送る密室トリック、ガラス入りゴミ袋を利用したアリバイトリック、黒羽の血液を利用した密室トリック

Why:ダム建設計画の不正を暴こうとした男鹿田弁護士と両親を殺した三人に対する復讐

今回の事件では被害者三人が三人ともさらし首の状態で発見されているということで、ミステリマニアなら当然「何故首を切断し晒す必要があったのか?」と考えるだろうが、これに関しては一旦よそに置いておいて、まずは第一の江鳩殺しについて言及していきたい。

 

〇五重密室トリックについて

江鳩殺しでやはり注目すべきは生首が発見された社が四つの錠前(鍵は二つ)一つの封じ札によって閉ざされた五重密室であり、いかにして生首を厳重に封印された社の最奥の五の間の祭壇に運び入れるのかというハウダニットが本作最大の見所と言えるだろう。

この謎については第9回目の現場検証の時にはじめが「五重密室にすることで密室殺人を可能にするロジックがある」のではないかと述べており、一重や二重の密室ではトリックが成立しないとヒントを仄めかしているのが注目すべきポイント。更に社が斜面に建てられており、一の間から五の間にかけて下り坂になっているというのもトリック解明の重要な手がかりになっている。もっと言うと、この後発見された鵜ノ木・黒羽の生首が布の上に乗っていたのに対し、江鳩の首は布に包まれていたというこの些細な違いもトリックを推理する重要なポイントとなるのだ。

 

五重密室のトリックは、三の間の扉側の上部のボロボロの格子から、四の間の格子・五の間の格子・祭壇の扉を通して、社の外の樹木までワイヤーを張り、ロープウェイの要領で江鳩の首を三の間から五の間の祭壇まで送り届けるというトリックだ。

ロープウェイの要領で死体を移動させるというのは(ネタバレになるかもしれないので一応伏せ字)20周年の時に発表された作品(伏せ字ここまで)でも用いられたトリックだが、本作では生首だけを移動させているという点に加えて、五重でないとトリックが成立しない、つまり一重や二重の密室では生首が祭壇に届く前にはじめ達が祭壇に到着してしまうというのが面白い所。

それを踏まえて八咫烏詣の儀式(第3回目)を見てみると、日鷹と烏守は錠前を開ける際にいちいち自分の名前を名乗ってから「〇〇の間の鍵を開けたてまつる」と言って鍵を開けているし(封じ札を切った鷺坂も同じ)、二の間からは前の人が階段を降りきるまで扉で待っておくという決まりがあるため、五の間に到着するまで意外と時間がかかることは問題編の段階で示されているし、この八咫烏詣の作法がトリックを成立させるための設定になっていることは指摘しておかなければならない。

 

このトリックは生首を五の間の祭壇に送る際どうしても摩擦の影響で「シャーッ」と生首が滑り降りる音が出てしまうのがウィークポイントだが、鈴や太鼓を鳴らしながら社に入っていくという八咫烏詣の作法によってカバーしているのが巧い所で、鳴り物が生首の滑走音をカモフラージュする役目を果たしているのもさることながら、社内部が真っ暗闇※1で下り階段のため通常よりも足元に意識を向けないと危ない状況になっており、そういった点で生首が頭上を通過しても悟られにくいよう考えて状況作りが為されているのは評価して良いだろう。

 

とはいえこの五重密室トリック、全くツッコミ所がない訳ではない。例えば、生首が滑り降りる音はカモフラージュ出来たとしても、祭壇にぶつかった時の衝撃音は鈴や太鼓の音で誤魔化せるとは到底思えない。人間の頭部はスポンジじゃないのだから、ぶつかれば「ガンッ」とそれなりに大きな音はするはずだ。※2

また、犯人は上着のフードの中に生首を隠し持っていたとはじめは推理しているが、人間の頭部は体重全体の10%を占めるほどの重たさがある※3ので、仮に江鳩の体重が50キロだとしても5キロの生首をフードに入れて何気なく振る舞えるかと言うと流石に無理なのでは…。まぁ、頭を斧でかち割って殺して首も切断しているから、頭部に溜まっていた血液の大部分は流れてその分軽くなっているかもしれないが、それでもはじめがトリック再現で用いたサッカーボールよりは絶対に重いだろうし、フードに入れた状態で三の間まで持ちこたえられるかというと少し厳しいかな?

 

あとこれが実は最大の問題点かもしれないが、犯人はいつ社にワイヤーを張ったのだろう。第2回目の鷲見の話では、夜7時に巫女が社の隅々までお清めをし、それを確認した長老二人が施錠するから、ワイヤーを張るとしたら巫女のお清めと長老二人の確認・施錠の間にやらないといけない。しかしこのトリックでは祭壇の扉にもワイヤーを通す必要があるため、7時前にワイヤーを張ったら巫女の鷺坂が祭壇の異常に気付いているはずだし、長老二人もお清めを確認して施錠するのだから、トリックを仕込む時間的余裕がないのではないだろうか。

ただ夜7時にお清めをするということは、社が暗くて鷺坂がワイヤーを見逃した可能性もゼロではないので7時前にトリックを仕込むことも出来なくはないのだが、お清めのやり方や施錠前の確認がどの程度のものなのか不明なので、そこがモヤモヤとさせられる部分である。

 

※1:先頭にいた鷺坂は提灯を持っていたので完全な暗闇という訳ではないが、早紀が階段を踏み外した様子から見てあまり頼りになる明かりではないようだし、後ろにいる人ほどより暗くなるため、やはり意識は足元に向くのが自然だと思う。

※2:緩やかな傾斜ならばそれほどスピードも出ないだろうから衝撃音も最小限にすむと思うが、そうなると今度は生首が祭壇に届かず摩擦によって途中で止まってしまうリスクが出て来る。ただ第5回目の現場検証で階段が急であることが確認されているから、緩やかな傾斜の社殿でないことは明らかだし、生首が途中で止まることはなかっただろう(結局衝撃音の問題は残るが…)。

※3:頭の重さってどのくらい?首への影響 を参照。

 

 

根本尚『怪奇探偵・写楽炎』シリーズの「蛇人間」のトリックと似ている?

先日、Twitter根本尚氏のアカウントで以下のツイートを見かけた。

ファンの方ならご存じの通り、過去に金田一少年は「異人館村殺人事件」で島田荘司氏の『占星術殺人事件』のトリックを丸パクリしたという前科があるため、私も気になって根本氏の『怪奇探偵・写楽炎』シリーズに収録されている一作「蛇人間」を読んでみた。

怪奇探偵・写楽炎 1 蛇人間【文春デジタル漫画館】

『怪奇探偵・写楽炎』シリーズは霜山中学校実験部の写楽炎と空手部の山崎陽介がコンビを組み、様々な猟奇的殺人事件・不可能犯罪の謎を解くミステリ漫画。1巻所収の「蛇人間」では、ショッピングモール予定地となった蛇神の祠周辺に怪人「蛇人間」が現れ、その怪人の正体を暴くべく写楽らが調査に乗り出すという物語だ。

金田一少年シリーズでも初期の作品では怪人が物語の怪奇性を彩っていたが、本作「蛇人間」でも同様に怪人が現れたり、不可解な連続殺人が起こったりと、本格ミステリ色の強い物語となっている。

 

Twitter 上では、「蛇人間」における不動産屋殺しで用いられたトリックが本作「八咫烏村」における江鳩殺しの密室トリックと同じではないのか、つまりまたしてもトリックの流用があったのではないかと囁かれている。

ただ、個人的意見になるがこの疑惑に関しては今回はシロ、つまり流用はなく単なる偶然で似たトリックになってしまったのではないか?と私は考えている。

これは私の方のアカウントでもざっと述べているが、「異人館村」の時と違い丸パクリではないし、仮にパクったとしたらもっと出来が良くないとおかしいので、この一件については問題なしということで。(ぶっちゃけ「蛇人間」の方がミステリとしてクオリティが高いよ)

 

(ここからは「蛇人間」のネタバレをしながらトリックについて言及するので以下伏せ字)そもそも今回問題となった「蛇人間」のトリックは密室トリックではなくアリバイトリックであり、千本鳥居の上部(笠木と貫の間のスペース)から手首の入ったボールを転がして送っているため、「八咫烏村」のロープウェイ形式で生首を送る密室トリックとはやはり質の違うトリックと考えるべきだろう。共通しているのは頭上経由で死体の一部を遠方へ移動させるという点だけであり、トリックを成立させるための条件や設定などはほぼほぼ違っているので、この類似だけでトリックが流用されたと考えるのは無理がある。(伏せ字ここまで)

 

〇鵜ノ木殺しのアリバイトリックについて

続いて二番目に殺された鵜ノ木の事件では、生首がガラスごみ置き場の地下室に置かれており、はじめ達がごみ回収に来た時には入り口がガラスごみの袋で塞がれていたのに、死体発見時にはごみ袋が除けられ外に捨てられていたので、ごみ袋の移動というアリバイの問題が提示されているのが第二の事件の特徴だ。

アリバイトリック自体は至極シンプル。入り口を塞いでいたごみ袋は空気で膨らませただけの軽いごみ袋で、ガラス入りのごみ袋はごみ回収の時点で既に外に放り出されていたとはじめは推理している。実はこのトリックは過去作で用いられたトリックの応用で、過去作では(ネタバレなので一応伏せ字)死体消失トリック(伏せ字ここまで)として扱っていたものを本作でアリバイトリックとして用いているのが個人的には興味深く感じた。

 

ただし、問題となるのはこの後のトリックの回収・処分の方法。八咫烏荘の方から聞こえた発砲音によって皆がワゴン車で八咫烏荘へ引き返す際、犯人は空気入りのごみ袋が詰まったネットをワイヤーに繋ぎ、ワイヤーを車に挟むことでトリックに使ったごみ袋をネットごと遠方に移動させ処分している。

ここで問題なのは裏口に散らばったガラス片で空気が抜けてかさ低くなっているとはいえ、ごみ袋が引きずられていたら誰かしら気付いたのではないかという点だ。道が舗装されていようといなかろうと、ごみ袋が引きずられていたら絶対に音はするし、車内にいてもその音くらいは聞こえるはずだ。これが近くに大きな滝があって滝の流れによる轟音で音がかき消されたというのならまだしも、ごみ捨て場から八咫烏荘に向かう道の途中にそんな滝はないので、音の問題はクリアされていない。

また、仮に音の問題をクリアしたとしても、引きずられるごみ袋は車のサイドミラーやバックミラーに映ってしまうので、視覚的な面でもトリックの回収・処分に無理が生じている。この問題をクリアするとなると、ワイヤーの長さを10メートル程に長くしてごみ袋と車の距離を開けておけば引きずられる音もあまり聞こえないだろうし見つかるリスクも格段に低くなるだろうが、それでもワイヤーはどうしてもサイドミラーやバックミラーに映ってしまうし、ワイヤーを長くすると今度はごみ袋とネットを予定通り谷底に落とせなくなるリスクが出て来てしまう。ワイヤーを長くした分ごみ袋がどこかに引っかかってしまう恐れもあるし、谷底に落とすとなると直接ごみ袋を目で確認してワイヤーを切らないと、下手すれば道の途中にごみ袋とネットが残ってしまうのだから、視覚・聴覚・処分の3つの問題点をクリアするだけの設定が出来ていないのが残念である。

 

〇黒羽殺しの密室トリックについて

最後の黒羽殺しは、第7回目の終盤で黒羽の血が抜き取られ凝固しないようクエン酸が加えられていたので、黒羽の血液がトリックに使われることは確定しており、その分密室トリックを推理するのは意外と簡単だったのではないだろうか。

この密室トリックでは茶室ともう一箇所黒羽の車が事件現場となっており、車の中に茶筅、ボンネットに茶碗を置いてはじめ達を茶室に誘導しているのがポイント。一見するとトリックとして蛇足な気がするのだが、後述する密室トリックは血が乾いてしまうと成立しないトリックのため、出来るだけ早く茶室の生首を発見してもらうためにやった工作だと考えれば、一応理に適った行為だろう。

 

肝心の茶室密室は、引き戸の鍵と障子のネジ締まり錠の計三箇所が閉ざされており、トリックが仕掛けられているとすれば当然血がぶちまけられた障子だという考えに至るのはそう困難ではない。そこから、血が付いている方の障子は施錠されておらず鍵が接着剤か何かで固定されているだけではないかと推理するのは十分可能だと思う。

鍵で施錠しているように見せかけて実際は障子の足元に針状の釘を打ち込むことで密室だと思わせるのがこのトリックのポイントなのだが、この釘に関してはアンフェアではないかと思われる場面がある。それが第10回目の現場検証の下り、14ページの一コマ目ではじめは血が付いた方の障子をスライドさせてガタガタと動かしているのだ。※4第13回目では「接着剤でくっつけた短いネジ鍵とクギは警察が来る前には回収するつもりだったんだろう」とはじめは犯人に対して言っているので、この言葉が本当なら第10回目の時点では障子の足元にまだ釘が刺さっていたはずだ。にもかかわらず血の付いた障子をはじめが動かしているのだからこの描写は矛盾している。というか、鍵の問題以前に障子を動かしてみたらトリックが一発でわかるのだから、現場検証で釘の存在をスルーしていること自体おかしいと言えばおかしいのだよね…。

 

※4:この描写があったので、トリックはあらかじめネジ締まり錠で固定された二枚の障子を枠から外して、再び廊下側から嵌め直したのかなと思ったが、二人ならともかく、一人で二枚ごと嵌め直すというのは無理がある。そもそも、嵌め直す際に血の付いていない障子に指が挟まって嵌め直せないので、障子を枠から外して嵌め直すトリックはやはり現実的でない。

 

〇フーダニットと動機

ハウダニットについてはこれくらいにしてフーダニットと犯行動機に移ろう。本作のフーダニットは比較的易しい難易度で、メタ的に推理すれば第二の鵜ノ木殺しで八咫烏荘に戻ることを提案したり車の窓を開けたりと誘導的行為が多かった花鳥が怪しいし、第8回目の黒羽殺しでは八咫烏荘にいたにもかかわらず足跡が泥で汚れていたのだから、これで犯人が花鳥だと断定出来る。

花鳥を歴代の犯人と比べて評価するとやや凡人タイプというのが個人的な印象で、村が程なくダムで沈むため入念に証拠の隠蔽をする必要がなかったとしても、それ以外でボロを見せているし、トリックも細かい部分でツッコミ所はあるので凡人止まりと評価した(トリックは作者が考えるのだけど作中では犯人が考案したものだからね)。

 

犯行動機はシリーズお馴染みの復讐目的による殺人で、男鹿田弁護士とは婚約する予定だったが、ダム建設計画の不正を暴こうとした結果、知不美の両親もろとも口封じで殺害されてしまった模様。男鹿田弁護士の死体は八咫烏荘の屋根裏部屋の隠し扉の真下、ダミーの大黒柱の空洞部分から発見されたのだが、あの、和歌山県警の捜査杜撰過ぎません?畳をはがずに調べたとか論外だよ。※5あと男鹿田弁護士の携帯に残った録音データも調べずに返却するとか鑑識は仕事してんのかと言いたい。マジで日本の治安ノーフューチャーだわ。

 

※5:防腐処理されていない死体だから死臭が屋根裏部屋に漏れてそうなものだが…。

 

さいごに

本作「八咫烏村殺人事件」は30周年を記念した作品の割には従来通りのテンプレ的な物語で、真相解明後の展開にしても犯人の動機語りが終わった後は何のフォローもなく物語が終わっているので、そう思うと20周年の時に発表された「人喰い研究所殺人事件」の方が物語としては凝っていたし面白かったかな。生首だらけの事件だったけど、ホラーミステリとして振り切れてなかったし、物語の序盤で描かれた八咫烏の爪痕も本筋に全然絡まなかったから、そういった所でも肩透かしを食らった感じはある。

 

事件のメインとなる五重密室を含めたトリックも細かい所で引っかかりを覚えて素直に良いトリックだと言えないのが残念なポイントで、そもそも密室にするメリットがあまりないのも評価を下げた理由の一つとして挙げられる。首切りの理由にしても「五重密室のトリック+八咫烏伝承になぞらえて被害者三人が罪人であることをアピールする」以外の目的がなかったのもミステリとしては勿体ない点だ。古今東西のミステリ作品では意外性がありながらも合理的な理由で首を切断し、首無し死体や生首だけの死体を謎として提示してきた。金田一少年シリーズでも首切りを扱った秀逸な作品はあったが、今回の物語は到底そのレベルには及んでいない。

 

あと本作に限ったことではないが、あまりハウダニットに力を入れ過ぎると犯人を除く登場人物の印象が薄くなってしまうんだよね。トリックが物語の要になるのはミステリとして当然だけど、これは物語であってクイズ問題ではないのだから、登場人物も事件解決のための情報を垂れ流すだけの人形にせず、読者をミスリードさせたり物語に華を添えるような魅力的な人物として描いて欲しいと(贅沢な文句かもしれないが)思う次第だ。

 

次回から新章となる事件が始まるみたいだが、最後まで読んでみて面白かったら感想をブログにアップしようと思います。

今後の予定について

6月も終わり2022年も下半期に突入したが、7月以降の当ブログの予定について書いておく。

 

今年は1月から「ミステリと言う勿れ」に始まり、4月以降は五代目「金田一少年の事件簿」や「探偵が早すぎる」とミステリドラマの豊作期間であり、おかげさまでブログのネタに困ることはなかったが、7月は特に食指をそそるようなミステリ系のドラマはなく、ミステリ以外のジャンルで視聴するドラマが2本あるものの、今の所ブログに書くほどのドラマではなさそうなので、停滞していた名探偵ポワロの感想記事を再開する。

当ブログでは「スペイン櫃の秘密」までの感想を現在公開しているので、「盗まれたロイヤル・ルビー」以降のエピソードについては順次放送後に感想を公開出来るよう今から下書きを進めることにする。「盗まれたロイヤル・ルビー」の放送はまだ数ヶ月先になるが、その間原作を読んで録画を視聴して感想下書きのストックを貯めていくよう頑張りたい。

 

また、ドラマ金田一少年が終わって名残惜しいので、現在連載中の30周年記念の最新作八咫烏村殺人事件」の感想・事件解説を最終回が掲載された翌週辺りに当ブログで公開しようと思う。現在掲載されている分は既に読んでいるが、私好みのホラー度の高い事件だし、三津田信三氏の刀城言耶シリーズ的な世界観なので、そういう点でも何か語れたら良いなと思っている。

 

あとは積読を消化していきおススメしたい作品があったら随時紹介する、という感じで下半期はブログを書いていくので、下半期も当ブログをよろしくお願いします。

最終回「オペラ座館 ファントムの殺人」感想&総評(五代目「金田一少年の事件簿」#10)

なんか、あっという間だったな…。

春季は良いドラマが豊富だった分、夏季は興味のあるドラマが少ないから、そういう点でも終わるのが寂しいです。

 

(以下、原作ほかアニメ版を含めた事件のネタバレあり)

※一部、加筆・修正しました。(2022.07.04)

 

File.7「オペラ座館 ファントムの殺人」(後編)

最終回は前回からの続きで城殺しから解決編までを描いている。

 

もう既にドラマ本編をご覧になった方はわかると思うが、実は五代目の剣持は最終回の今回に至るまで、はじめの祖父が金田一耕助だと知らずにいたという(ある意味)衝撃の事実が明かされる。五代目でははじめが名探偵の孫であることはあまり強調されていなかったとはいえ、まさか剣持がジッチャンが誰か知らずにはじめに協力していたとは思っていなかったし、劇中で描かれていないだけでプライベートな部分でそこは説明しているものだとばかり考えていたので、ここの下りはビックリしたと同時に笑っちゃったよ。っていうか、よくそれで「首狩り武者」の時に「はじめのジッチャンの名にかけて」とか言ったな。

 

後編の改変ポイントについては後ほど説明していくとして、まずは原作の事件解説から行ってみよう。

 

原作の事件解説(臨機応変、プロの演技力が光る名犯人)

Who:地下迷宮に落ちていた電池、火恐怖症

How:離れの塔の無人消灯トリック、衆人環視下でシャンデリアを落とすトリック、三鬼谷操縦によるアリバイトリック、偽鍵とタランチュラを利用した密室トリック

Why:合宿所の火事を起こし、霧生を死に追いやった劇団員に対する復讐

本作は「聖恋島」以上にバリエーション豊かなトリックが仕掛けられたゴージャスな一作であり、白神がもう一人の探偵役として推理を披露する場面があるため、ミステリで言う所の多重解決形式になっているのが面白いポイントだが、まずは時系列に沿って離れの塔に仕掛けられた無人消灯トリックから語っていこう。

 

離れの塔のトリックは、風船の中にドライアイスを入れ、塔の階段の一番上に設置し、そばに画鋲を置いておく。そうして風船の中で溶けたドライアイスによって風船が膨張し、画鋲が刺さって割れることで、ドライアイスの煙(二酸化炭素が階段を流れていきロウソクの火を消していく…というもの。

種を明かしてみれば単純な物理トリックだが、これが事件の序章となる演出――島に劇団員や招待客以外の三者の存在がいることを仄めかす――になっているのがポイント。この第三者の存在を仄めかすために犯人は他にも、水を出しっぱなしにした際に鳴る警報ベル冷凍された鶏肉を駆使して「ファントム=霧生鋭治」の存在をちらつかせ、尚且つ自分にはそれを仕掛ける時間はないと主張出来るようにアリバイ工作までしているという徹底ぶりだ。

 

一応言っておくと最初の無人消灯トリックは絵門殺害前に仕掛けたトリックのため、トリックが露見した所で大きなミスにはならないが、トリックの痕跡となる風船を回収する際にライトを点けて探すと館のリビングから明かりが見えてしまうため、対策としてあらかじめ風船に蛍光塗料を塗っている。これが現場検証の際に剣持が発見した「青白く光るもの」の正体だったのだが、この際に剣持が犯人に拉致・監禁されたため、無人消灯トリックに犯人を特定出来る何かがあったのではないかと読者が思い込むような展開になっているのが巧妙なポイントだ。

勿論、ゴム風船のことだから風船に犯人の指紋が残っていてもおかしくないと思うが、前述したようにこのトリックは殺人前に仕掛けられたものであり、例え風船から仕掛けた人物が特定出来た所で、「サプライズ演出」と言い逃れすることも可能だから、「無人消灯トリックがバレたから剣持を拉致した」という仮説を論理的に否定出来るようになっている。

 

犯人が剣持を襲ったのは、作中ではじめが言ったようにこの後の密室トリックに必要な劇場の鍵を奪い取るためであるが、奪い取っただけでは剣持に鍵がなくなっていることに気付かれるし、密室トリックが実行不可能となってしまうので拉致・監禁という強硬手段に出たのだ。これによって、事件捜査の主導権がはじめや白神に移行し、城殺しのための密室トリックを自然な流れで行えるようになっているのが本作のプロットの優れた所である。ただ、白神が城を犯人と推理し、彼を劇場に閉じ込めるという提案をする流れは、流石に犯人も予想出来ないことなので、剣持を拉致・監禁したのは一石二鳥を狙ってというより、結果的に一石二鳥になったという方が正確だろう。

 

〇絵門殺しについて

最初の殺人、絵門殺しにおけるシャンデリア落下のトリックは、舞台裏のワイヤーリールからワイヤーを引き延ばし、地下を経由して観客座席の足元にある床板の節穴から座席のボルトに引っ掛けて固定する。こうして座席からワイヤーを切ることで衆人環視下の中でシャンデリアを落とすことに成功しているが、このトリックはワイヤーがある場所に移動するのではなくワイヤー自体を自分の元へ引き寄せるという逆転の発想が秀逸で、経年劣化によるオペラ座館の床板をトリックに利用しているのもユニークなポイントだ。

ちなみに、白神のポンコツ推理では、このアリバイトリックは城によるもので、衣装掛けに自分の衣装とファントムの仮面を掛けて自分が舞台袖にいたように見せかけ、その隙にワイヤーリールの元へ行ってワイヤーを切断し、シャンデリアが落ちた騒ぎのどさくさに紛れて衣装を身に着け駆け付けた…と推理している。

この白神の推理は作中ではじめが指摘しているように、全ての人間が衣装掛けのトリックに騙されるとは限らないし、一度そのトリックに疑念を持たれたら後の犯行が頓挫する恐れも十分ある。あとこの衣装掛けのアリバイトリックにはもう一つ問題点があって、シャンデリアが落下した際の衝撃で床に振動が伝わり、その振動で衣装掛けに掛けていた衣装や仮面がズレたり落ちてしまうリスクがある点だ。しかもシャンデリア落下後に早着替えをして駆け付ける必要があり、衣装や仮面をテープや紐などでズレ落ちないよう固定する訳にもいかないので、総合的に見てもこの衣装掛けによるアリバイトリックは実用的でないと言える。

 

〇三鬼谷殺しについて

次に第二の殺人、三鬼谷殺しにおけるアリバイトリックについて言及する。この三鬼谷殺しではレオナの襲撃も同時に起こったため、

①何故三鬼谷の死体を離れの塔から運び、海沿いの道の途中に遺棄したのか?

②何故三鬼谷の手首を切断し離れの塔に放置したのか?

③何故レオナを襲っておいて殺さずに三鬼谷を殺したのか?

の3点の謎を整理して考えていかなければならない。

これが島に潜伏するファントムの仕業だと仮定すると、レオナを襲撃したものの殺害をあきらめ海沿いのルートを通って離れの塔にいた三鬼谷を殺害、手首を切断してから死体を背負って元の道を戻り、その途中で遺棄するという何とも不合理な行動になってしまう。そのため、これがアリバイトリックによって生じた不自然な状況であることは誰でもわかると思うが、このアリバイトリックについて白神は以下のように推理した。

 

白神の推理によると、犯人の城が本館ではなく離れの塔に隠れていて、レオナのSOSで三鬼谷以外のメンバーが本館に戻った隙に彼を殺害。死体を背負って海沿いのルートを辿り途中で死体を遺棄し、あたかも最初から本館にいたような振りをした。そしてレオナ襲撃は、あらかじめドライアイスで彼女の部屋の窓ガラスを超低温状態にしておき、レオナが部屋の暖房をつけた際に気温差によって窓ガラスが割れる遠隔トリックを仕掛けた…とのことだ。

この白神の推理は第一の絵門殺し以上にツッコミ所満載で、まず作中ではじめが指摘したように、「三鬼谷が足を捻挫して離れの塔に残ったこと」と「ドライアイスと暖房の気温差で窓ガラスが割れること」の二点が成立しないと実行不可能なトリックであり、特に前者は偶然起こった出来事のため、計画犯罪としては無理がある要素が多いのだ。また、仮に城が犯人だとしても死体の手首を切断して死体を運ぶメリットが一切ないし、本館にいたとアリバイを作るのであれば尚更死体は離れの塔にあった方が彼には有利なのだから、その点でも白神の推理は(絵門殺しで城を犯人と推理したため)単独犯の仕業と考えて無理やり辻褄を合わせた推理になっており、白神のポンコツ探偵ぶりがここで遺憾なく発揮されている。

結局この白神の推理は第9回目のレオナの部屋の現場検証によって窓ガラスだけでなく窓の桟も破壊されている(=犯人の手で直接破壊されたもの)ことが確認されたため完全に否定されることになるが、では犯人はどのようなアリバイ工作をしたのか。

 

ここで謎を解く取っ掛かりとなるのが、三鬼谷の性格だ。作中で描かれているように、彼は自分の手首にレオナの名を彫るほど彼女にご執心で、他の男が彼女に手を触れようものなら烈火の如く怒る人間だ。それなのに、離れの塔でレオナのSOSを聞いた際には他の人に彼女の救援を任せるという消極的な態度をとっている。一見すると捻挫したせいだと思ってしまうが、(彼の性格から見て)誰かに背負ってもらってでも彼女の元に駆け付けようとするはずなのに離れに残る選択をしたという、この心理的矛盾がトリック解明の鍵となる。

真犯人が仕掛けたアリバイトリックは、あらかじめ三鬼谷と密会の打ち合わせをしておき、剣持失踪ではじめ達が離れの塔に向かう流れに乗じて密会の計画を実行。離れの塔で三鬼谷がわざと捻挫したふりをして一人残り、こっそりと海沿いの道を通って犯人と密会した…というものだ。これによって、本館にいた犯人は離れの塔に行くことなく往復5分で犯行をすませることが可能になり、離れの塔に駆け付けた際に三鬼谷の手首を落として犯人自身が発見することで、犯行が離れの塔であったように見せかけているのがこのアリバイトリックの重要なポイントだ。

 

そしてここまでの流れでもうわかった方もいると思うが、レオナの襲撃は彼女自身がアリバイ工作のために行った狂言の襲撃であり、本館の自室の窓の外からインターホンではじめに話しかけ、自ら窓を割ることでファントムによる襲撃を演じている。この際、万が一外にいた人物に見られても大丈夫なようにファントムの衣装と仮面をつけているのが犯人の用意周到な所であり、この変装が結果的に読者に対する叙述トリックの役目を果たしているのも見逃せない。

結局外にいる人物がレオナの狂言襲撃を目撃することがなかったので、ファントムの変装はトリックとして蛇足になったのだが、それが却って「レオナがアリバイ工作のためにわざわざファントムの変装をする必要がないので、彼女は犯人でない」という風にも読めてしまうため、ここでミスリードにハマった読者もいたのではないだろうか?

 

〇城殺しについて

最後の城殺しについては、絵門・三鬼谷を殺害した犯人が城だと白神が推理したことに加えて、劇場に城を一晩監禁することで潔白を証明しようという流れになったのが犯人にとってはラッキーだったと言える。この流れに乗じて鍵の見張りを提案しているのが犯人の頭の回転の早い所であり、心理誘導としても巧妙なポイントだ。

 

実を言うと、鍵の見張りよりも劇場入口の前で寝ずの番をした方が殺人防御としては確実性が高いのだが、(前述したように)刑事である剣持が犯人によって襲われ行方不明になっているため、劇場前の見張りをすることに抵抗感がある状況になっているのが注目すべき点だ。刑事がファントムに襲われている以上、もし城が犯人でなかった場合ファントムの襲撃から城を守らないといけない羽目になるのだから、心理的にも肉体的にも劇場に近寄りたくないと考えるのは自然だろう。

しかし、鍵の見張りならば劇場から離れたリビングに座っていれば済むし、部屋も暖炉が焚かれていて暖かいから、心身共に安心して見張れる。犯人が鍵の見張りを提案したのも、直接的な見張りでなく間接的な見張りに他の人々が賛同することを見越してのことだろうが、この鍵の見張りを利用して仕掛けたのが偽鍵とタランチュラを利用した密室トリックになる。

 

まず犯人は事前に炎で燃える素材で作った偽の鍵を用意し、劇場に向かう前に本物の鍵とすり替え、同時にタランチュラを放つ。こうして偽鍵ごとタランチュラを暖炉に放り込んでもらうことで暖炉の火が燃えている間鍵が取り出せない状況を作り出し、鍵のアリバイを作り上げているのがこのトリックの秀逸な所である。殺害後は屋外の煙突から鍵を落として暖炉に返却出来るため、火に近づく必要がないのも犯人にとってはメリットだったと言えよう。

このトリックについて、「暖炉の薪が燃え尽きる前に水で消火して鍵を取り出せば良かったのでは?」というツッコミが挙げられると思うが、一応これについて言及しておくと、基本的に暖炉の消火に水を使うのはNG※1であり、直接暖炉に水をかけると炉を傷めたり灰が飛び散って危険なので、火の勢いがなくなり消えかけの段階で消火にあたるのが良いとされている。特に本作の暖炉は大型の暖炉だから、燃え盛っている火に水をかけたら水蒸気や灰で部屋が大変なことになるし、城が命の危機に瀕しているならともかく、水をかけて消火するほど緊急事態という訳でもないため、はじめ達がとった行動は適切だったと念のために断っておく。

ちなみに、タランチュラを暖炉で焼き殺してもらうために、オペラ座館に備え付けの室内用スリッパをあらかじめ隠しておき、毒グモを踏みつぶして殺す選択を心理的にとりにくくしているのも犯人の賢いポイントとして挙げておかなければならない。

 

※1:薪ストーブのある暮らし » 暖炉の火の熾し方 を参照。

 

〇犯人唯一のミス

以上、トリックの方を詳細に解説していったが、本作の犯人は剣持の現場検証や白神の提案といった犯人にとってのアクシデントさえも犯行計画に組み込んで殺人を成功させているのが(他の事件の犯人たちと違い)頭の回転の早さを物語っているし、臨機応変に対応して行動する様や、巧みな心理誘導も犯人の演技力の賜物だと思う。

 

そんな犯人が唯一にして最大のミスを犯したのが、剣持を拉致・監禁した時のこと。地下迷宮に剣持を監禁した際、誤って懐中電灯を落とし、それによって乾電池が床に転がり出てしまったのだが、本作ではこの電池が物的証拠となった。

電池が証拠というのは、勿論電池に残った犯人の指紋もそうなのだが、地下迷宮にはロウソクの立った燭台があり、明かりが全くない訳ではないため、何故それを使わなかったのかという疑問が出て来る。ここでレオナの火恐怖症が手がかりとなり、ロウソクを使わなかったのではなく、使えなかった。即ち、火恐怖症のレオナが犯人だと一気にわかるようになっているのがフーダニットとして鮮やかなポイントである。

 

この電池に関してはレオナも回収のチャンスをうかがっており、城殺しの際に彼の血をわざと地下迷宮の入り口まで続くように残しておき、死体発見時にはじめ達と共に地下迷宮に入ってさり気なく電池に触れることで、指紋から犯人だとバレないよう動いているのが凄い。

ただ、はじめが電池を拾った後にレオナが触れ、その電池をはじめがハンカチで受け取りそのまま包んで保管したため、レオナの指紋の上にはじめの指紋が重なるという矛盾※2が生じ、これが決め手となった。

電池さえ落としていなければ状況証拠のみで物的証拠はなかったのだから、完全犯罪まであと一歩という大健闘ぶりを見せた湖月レオナは歴代屈指の名犯人と言って過言ではないだろう。

 

※2:レオナが犯人でない場合、はじめの指紋の上にレオナの指紋が重なることはあっても、はじめの指紋の下に重なることは絶対あり得ない。

 

アニメ版とドラマの事件解説

まずはアニメ版の改変について触れていくが、先週の記事で言及したようにアニメ版は約50分の尺に収めたため、三鬼谷殺しは丸ごとカットされているし、剣持が襲われ監禁される下りもカットされているため、剣持は最初から最後までずっとはじめや美雪のそばにいる。

また、もう一人の探偵役である白神もカットされているので、城殺しの下りはどうなったかというと、白神に代わって影島が衣装掛けによるアリバイトリックの可能性を持ち出して城を疑い、氷森がそれを後押しするような発言をしているため、城自身が劇場に籠もる提案をした…という形で改変されている。この改変自体は特に問題はないのだが、原作と違い剣持はピンピンしているため、正直剣持は劇場前で見張り番をした方が良かったのでは…?と思ってしまう。

また、剣持の監禁がカットされたことで決め手となる電池が使えなくなったので、アニメ版では城殺しの密室トリックで鍵を煙突から暖炉へ返却する下りを利用している。煙突に辿り着くにははしごを上って屋根に上がらなければならないが、この際に屋根の赤錆が靴の裏に付着するため、はじめはこの赤錆を決め手としてレオナに突きつけている。電池と比べると決め手としては弱いかもしれないが、一応説得力のある物的証拠にはなっているだろう。

改変によりプロットに隙が生じてしまっているのが少々残念ではあるが、それなりにキレイにまとまった一本であり、地下迷宮の壁に刻まれた霧生のメッセージというアニメオリジナルの設定が犯人の救いになっているのも見逃せないポイントだ。和田薫氏による音楽も相まって、結末は意外と感動的になっていたと思う。

あとこのスペシャル版は毎週放送されていた時と違い作画がガラリと変わっていて、はじめや美雪、剣持が妙に美形寄りに描かれているため、旧作のアニメに慣れ親しんでいる私としては結構違和感があるんだよね…ww。

 

〇五代目の改変について

今回のドラマは大体原作通りで大きな改変はなかったが、まずは順番に離れの塔の無人消灯トリックから言及していく。

最初の離れの塔のトリックでは、一同がリビングにいて離れの塔で起こったことを目撃していたが、原作と異なり影島だけがリビングにいなかった。原作では影島が離れの塔を見ながら夕食をとることを見越して無人消灯トリックを仕掛けたのに対し、ドラマは逆に影島だけが無人消灯トリックを目撃していないというのがポイントで、前編の段階では影島自身が塔にいてロウソクを消した可能性もわずかながらにあるようになっていた。とはいえ本作における影島は特別犯人っぽい動きをしていないので、この改変に犯人=影島だとミスリードさせる作用はあまりなかったと思う。

 

次いで絵門殺しのシャンデリア落下トリックの際の状況について。今回のドラマで城が付けていた仮面はフルフェイスのものではなく目元を隠す仮面であり、彼の立ち位置も舞台袖ではなく舞台上になっていたので、原作で白神が推理した衣装掛けのアリバイトリックはカットされている。これは尺の都合のためカットされた部分だろうが、それに伴い第二の三鬼谷殺しにおける白神の推理もカットされており、城を疑う切っ掛けは犯人が着用していたファントムの仮面が城の部屋にあったという形で改変されている。そのためドラマでは多重解決の形式はなくなっており、白神がポンコツ探偵になることは回避されているのだが、その分イヤミっぽく挑発的な態度ではじめに絡んでいるので心証は最後の最後まであまり良くなかったかな。

トリック解明の下りは、切断されたワイヤーの長さに着目するのは原作と同じだが、ドラマではリールまでの距離とシャンデリアが吊るされていた高さという具体的な数字を出すことでワイヤーの長さに違和感があることを強調しているのが良い点だ。また、響や劇団員たちを地下迷宮に集め、佐木のiPadを通して実況中継の形式で実際にトリックを実演しているのもドラマの演出として優れていた。

ちなみに、原作ではワイヤーを切断するために犯人は座席のひじ掛けにもたれる格好で座っており、それが犯人特定のヒントというか伏線になっていたのだが、ドラマではその瞬間は映されていないため、絵門殺しの段階で犯人を推理するのは無理だろう。

 

三鬼谷殺しは前回の感想でも述べたように、午前中の出来事として描かれているのが最大の改変だが、原作と違い雨が降っておらずはじめ達もレインコートを着用していないため、三鬼谷の手首を隠し持てる人間がレオナしかいない状況になっているのが少々気になる。原作では他の人物もレインコートを着用しているため、レオナ以外の人物にも手首を移動した可能性は少なからずあるのだが、ドラマではレオナを除いた他の人物は長い丈の上着を着ておらず、手首を隠して持てるような服装でもないし、ましてや鞄すら持っていないので、ここで犯人がレオナではないかと疑った人もいたのではないだろうか?※3

 

最後の城殺しは地下迷宮発見後に起こった事件として改変されているため、城の血ではじめを地下迷宮へ誘導する展開はなくなっている。その分死体も原作のメッタ刺しのような凄惨さがなくアッサリとした普通の死体だった(あまり血みどろにしたら劇場が汚れるからああしたのかもしれないが…)

密室トリックについては、原作と違い夏の事件のため暖炉を利用している所に違和感を覚えた人も多いと思うが、ロープウェイで行かないといけない山の高所に建っている館ならば、標高が高い分気温も平地と比べて低いと思うので、六月下旬の夜ならば暖炉を焚いていてもそんなにおかしくはないかなと私は判断した。

(とはいえ、暖炉の規模や火の大きさを見ると、頑張れば消火せずとも鍵がとれそうな気が…)

原作ではタランチュラを三匹も使っていた犯人だが、ドラマでは一匹だけであり、直接「焼き殺して」と言ってはじめにタランチュラを殺させている。ここの下りは原作だと「焼き殺して」と言うまでもなくはじめが焼き殺してくれたので良かったが、アニメ版と今回のドラマでは直接言ってしまったため、後々疑われる痕跡を残したのが少し痛い所だなと思った。

 

※3:特に前編で三鬼谷の死体が発見された際、離れの塔に手首を切断した際の血だまりがないことがはじめの口から語られているうえに、死体発見現場で手首が切断されたことが明確にわかるよう映っていたので、手首の移動の点で考えれば実行可能なのはレオナしかいないと推理出来る。その点原作は雨が降っていたので(離れの塔はともかく)死体発見現場で手首が切断されたかどうかを証明するのは難しかったと思われる。

 

終盤レオナが館に火を放ち自殺を図るのは原作と同じだが、ドラマは第三の殺人ではないため、全焼・倒壊には至っていない。「聖恋島」の時みたいに館そのものが撮影用のセットならば良いけど、今回はロケで借りている場所なので原作のように劇的な結末が描けなかったのは最終回として勿体ない点である。ただ、霧生の真意をレオナに訴えかける下りは原作にもあったし、最終回にしてようやくはじめが犯人の魂を救えたというのは連ドラの構成として良かったのではないかと思う。

今回の連ドラ序盤の「学園七不思議」や「聖恋島」におけるはじめは推理は出来るけどやや辛辣な面が目立っていたし、解決後に犯人に対して語りかけることもなかった。「白蛇蔵」や「トイレの花子さん」からは犯人に対する語りかけはしているものの、救済には至っていないし、「金田一少年の殺人」「首狩り武者」では犯人が死亡している。こういった探偵としての不完全さを経て最終回でレオナの救いとなる言葉をかけられたのは、はじめの探偵としての成長が描かれていて評価すべきだと思うよ。

演出は原作より地味なのは否めないけど、ドラマのレオナは原作のようなロマンチスト的要素は薄く、比較的地に足のついた女性として描かれていたから、そういう女性に語りかけるとしたら今回のドラマのように腰を屈めて低い目線から語りかける方が適していたのではないだろうか。(上から目線だと「何だコイツ」って反発心がわきかねないだろうし)

ちなみに、原作ではもう一つ犯人にとって救いとなる展開があったが、これはアニメでも今回のドラマでもカットされている。気になる方は是非原作を読んでもらいたい。

 

さいごに(総評&その他もろもろ)

4月から追ってきた五代目金田一もこれで終わりを迎えたが、最後に総評や他の感想を述べていこう。

五代目で道枝さんが演じた金田一はじめは四代目の山田版が結構原作に近いキャラ設定だった分、今回はやや草食系で美雪との恋愛も奥手で消極的に描かれていた。これに関しては四代目との差別化もあってのことだろうが、個人的に今回の五代目金田一のキャラ設定は道枝さんに合ったキャラ設定だったと思う。

専門的な話になるが道枝さんは2種体癖※4っぽい体型だし、「聖恋島」で見られた犯人に対する辛辣さ・弁舌の鋭さは思春期の2種※5に見られるので、原作のはじめとは違うが、道枝さんが演じるはじめ像としてはピッタリだったのではないかと思う。もし道枝さんが四代目の山田さんが演じたようなオッパイ好きのスケベキャラだったとしたら、多分間違いなく違和感が凄くて気持ち悪さが勝っていただろう。コミカルからシリアスに振り切れていないという批判もあるだろうが、初代から四代目までの平均値というのが五代目金田一の特徴であり、そこが道枝さん自身のイメージと合致していたと評価する。

 

美雪や佐木に関しては、五代目の金田一とは逆に歴代の中では一番原作寄りの設定だったと思う。佐木はかなり有能になっているから厳密には原作とは違うのだけど、ビジュアルに関しては過去一で原作に近かったし、原作に近い見た目の佐木がスマホで撮影をするという組み合わせに時代の流れを感じさせるものがあったような気がする。

美雪は初代のともさかりえさんの印象が強い人もいるだろうが、初代の美雪は原作の美雪と比べるとノリが良すぎるので厳密には違うし、楚々とした感じは今回の上白石さんの方が強かったかなと思う。佐木の出番が増えた分、やや影に追いやられている感じがするのは四代目で川口春奈さんが演じた美雪と共通する所ではあるし、そこがちょっとドラマとして寂しいというか物足りない部分だったかな。特に五代目金田一は恋に奥手なので、その点でも美雪との絡みが薄く勿体ないと感じる場面もあったからね。

 

剣持警部は初代で古尾谷雅人さんが演じた剣持に近いテイストだったが、初代の剣持の紳士さにちょっぴり少年の腕白さが付け足されていたというのが沢村さんが演じた剣持のイメージで、そういうこともあってかはじめとの距離も意外に早く縮まっている。個人的には今回の五代目剣持の設定は良かったと思うよ。

 

あとこの記事の冒頭で剣持がはじめの祖父のことを知らなかったと言ったけど、今回の五代目は金田一はじめが金田一耕助の孫であることをほとんど強調していないというのが注目すべきポイントで、祖父の威光というものが令和においては何の意味も成さないことをドラマでは暗に示していたのではないかと考えている。事件関係者にも「金田一耕助の孫」だと言わずに捜査していることを思うと、水戸黄門の紋所に値する「金田一耕助の孫」という肩書きが通用しない時代になったことを象徴しているように思うのだ。

 

※4:体癖 - Wikipedia を参照。2種体癖の身体的特徴はやせ型で首が細く弱々しい、貧血気味で声に張りがない等が挙げられる。2種は公平さを重視し、人の話を正確に聞き伝えることが得意な人が多い。他にも、土壇場で優先順位を決めるのが苦手・性への目覚めが遅いといった特徴がある。

※5:思春期の2種については以下の動画を参考にさせていただきました。(動画の4:40辺りから)

【10】精神科医が分析する「リトルナイトメア2」 シティ編(後編)人はどのようにして「中毒」から醒めるのか - YouTube

 

映像面については、四代目と同じ木村ひさし氏が演出に加わっているものの、四代目のように初代を意識したカメラワークにはなっておらず、はじめの決め台詞も特別凝った趣向・演出ではなかった。そこがちょっと物足りなく感じてしまう人もいただろうし、物語のテンポもゆったりめでスピード感は希薄だった。それが良いかどうかは一旦置くとして、次は今回の連ドラの脚本、つまり各エピソードについて言及する。

 

〇五代目エピソードを順位付け

公式HPでも紹介されていた通り、五代目は新旧の傑作を揃えた金田一少年の決定版」というテーマで七つのエピソードを映像化しており、日本的なホラー要素を重視したエピソードを選択している。今回映像化された七つのうち、独断と偏見で順位付けをすると以下のようになった。

1位:「聖恋島殺人事件」(2・3話)

2位:「オペラ座館 ファントムの殺人」(9・10話)

3位:「首狩り武者殺人事件」(8話)

4位:「トイレの花子さん殺人事件」(5話)

5位:「金田一少年の殺人」(6・7話)

6位:「白蛇蔵殺人事件」(4話)

7位:「学園七不思議殺人事件」(1話)

実は1位から3位までは大石哲也氏が担当した回で、4位以降は川邊優子氏の担当回になっている。結果的にこういう順位になっただけで別に脚本で差別した訳ではないが、やはり大石氏は過去に初代と二代目で脚本を担当していたし、金田一少年だけでなく他のミステリドラマの脚本も経験している方なので、その経験値が反映されていると感じる内容になっていた。

川邊氏が担当した回は部分的には優れた改変になっていたが、トータルで見るとイマイチというか不満が残る部分も少なからずあったので、4位以下となってしまった。ミステリドラマの経験がないにもかかわらずいきなり金田一少年の脚本を任されたことを思うと健闘していたとは思うが、ミステリドラマは総合芸術的な面があって、単にトリックが成立したら良いという話ではない。これは推理小説も同じで、トリックが面白くても小説(読み物)としてイマイチではやはり上質なミステリとは言い難く、読者の印象に良い意味で残ることはないのだ。

 

順位について詳細に説明するが、3作あるリメイク作品の中でワーストにした「学園七不思議」は明らかに尺不足で、当ブログでも言及した虚像の問題をドラマ制作陣が見逃していることが致命的だった。「金田一少年の殺人」は前編は良かったが後編で失速した感が否めず、初代とは違う味わいがあったが、あの寂しい解決編は私の好みには合わなかった。「首狩り武者」も原作の完全な映像化という点では及第点には達していない所はあるが、改変がいずれも納得のいくものが多く初代とは違う味わいのある一作として100点満点中75点くらいはつけても良い出来栄えだったと思ったので3位とした。そういうことでリメイク3作のうち一つは成功、一つはまぁまぁ、一つは失敗と評価するが、失敗したのが初回だったから連ドラの構成として大きな傷にならずに済んだのがラッキーだったかもね。

それに船津紳平氏「犯人たちの事件簿」の後押しもあったから、それの影響で犯人側の目線で事件を楽しむ見方も出来たのが五代目のもう一つラッキーなポイントと言えるだろう。

 

新作エピソード4作のうち、前後編として描かれた「聖恋島」や「オペラ座館」が上位に来たのは妥当だと思うが、「聖恋島」の方を1位にしたのは原作以上に復讐の物語として効果的な改変だったことや、原作の不満ポイントをほぼ潰していることが挙げられる。ミステリのクオリティとしては間違いなく「オペラ座館」なのだが、改変の巧さという点で「聖恋島」を1位とした。「オペラ座館」も傑作ではあったが、演出面や原作の劇的な結末を思うと控えめな描写になっていたのでそこが少しマイナスポイント。ただこれはセットではなくロケ現場での撮影ということもあるので仕方がないと思うし、映像化としては最終エピソードに相応しい出来になっていたと評価するよ。

1話完結の「白蛇蔵」と「トイレの花子さん」は、まず「白蛇蔵」は原作自体多くの問題を抱えた作品なので改変も大変だったと思うが、結果的にモヤモヤ度は原作と変わらないという点でミステリドラマとしてはイマイチだった(致命的なミスがなかったので6位)。「トイレの花子さん」は原作から結末や犯人を追い詰める決め手を変えたために、原作よりは質が落ちる結果になったがそれでも「金田一少年の殺人」よりも上の順位にした。初の短編エピソードの映像化ということも勿論あるが、はじめの高校生としての無邪気な一面を堪能出来る一作としては価値があると思ったからである。

 

初回を除けば視聴に値するエピソードだったとは思うが、「金田一少年の決定版」としてこの7つのエピソードだけで金田一少年が語れるかと言うとそれは流石に否である。金田一少年シリーズを語るとしたらはじめの宿敵である地獄の傀儡師は外せない存在だし、この宿敵を抜きにして「金田一少年の決定版」を謳うのもいかがなものかと思うので、やはり私はSPドラマでもシーズン2でも良いから続編を作るべきだと主張したい。特に五代目はリメイクに3作費やした分、新作自体は他の代と比べると4作と明らかに少ないので、そういう点で不満を感じた道枝さんのファンもいたのではないだろうか。四代目の山田版の御縁で道枝さんが金田一を演じられることになったのだから、せめてSPドラマ2本分くらいはやらせてあげて欲しいものだ。

 

〇初代がもたらした「過剰な刺激」問題

新たな金田一少年が生まれる度にどうしても比較の対象として持ち出されるのが初代の堂本版金田一だ。特に五代目は初代の作品をリメイクしたこともあってより比較されやすい状況になっていたと思う。ドラマ制作陣もそこは覚悟して制作にあたったと思うが、そのせいかやや批判的な意見が目立っていたような気がするし、視聴率に関しては日曜夜10時半ということもあってか歴代の平均視聴率のワーストを更新している。※6ディズニープラスでも配信する番組だからあまり視聴率にこだわらず日曜夜に放送したのかもしれないがそれはさておき。

 

過去にも新たな金田一少年は批判の対象となり、それに呼応するように堂本版が持てはやされることはあったが、堂本版金田一自体は間違いなく傑作揃いであり評価されるだけのクオリティだったので、別に「堂本版にもダメな部分がある」とかそういうことを言いたい訳ではない。

私が言いたいのは、ちょっと視聴者が初代堂本版で提供された過剰な刺激に影響を受けすぎて、他の代の演出や趣向に鈍感になってしまっている傾向があるのではないかということだ。初代における怪人による凄惨な殺人シーンや雷鳴轟く不気味な館の演出が刷り込まれてしまっているが故に、それと同等かそれ以上の過激な演出がないとドラマ金田一少年として認められない、或いは快感が得られない脳になっていると私は考えていて、今回の五代目に厳しい目を向ける人は初代を基準にしてしまっているから余計にヌルく地味に感じてしまうのかなと思ってしまう。

これに関しては最終的には好みの問題として落ち着くので、無理に五代目の良さを見出す必要はないのだが、もうちょっと歴代の金田一の特色や面白さに目を向けないと、ドラマを制作する側も新たな金田一ドラマを制作することに消極的になり、新作や続編が見られなくなってしまうのではないかと実は少々危惧しているのだ。心配しすぎかもしれないが、以前に木谷高明社長が「すべてのジャンルはマニアが潰す」と言っていたことを思い出し、ドラマ金田一少年にもそういう危険性があるのではないかと思ってこのような意見を述べた次第だ。

 

原作通りやることも大事だけど、新たな金田一少年を見たいというのも確かであり、金田一耕助シリーズのように息の長い作品にするとなると、主人公のはじめの設定が変わるのも全然アリというか、変えないといずれ行き詰まるかもしれない。どちらかというと私が重視するのは主人公の性格よりも美雪や剣持といったレギュラーメンバーとの関係性の方で、金田一少年ははじめだけの力で謎解きをする訳ではないから、他のメンバーとの関係性をバランス良く描くことも作品として重要ではないかと考えている。そこさえ押さえておけば、ある程度の改変は許容出来るし、そういう所から面白さを見つけることがこの先の金田一少年のドラマを見る上で必要かもしれない。

 

※6:平均視聴率は6.2%であり、最高は初回の7.8%で最低は6話の5.5%だった(いずれも関東地区)。視聴率の推移としては緩やかなV字で後半は上昇している。

 

〇もし続編をやるなら…

続編が制作されるかどうか現時点では未定だが、個人的に続編があるならやってもらいたいエピソードは以下の通りになる。

リメイク枠:「異人館ホテル」「首吊り学園」「魔術列車」

新作枠:「魔神遺跡」「天草財宝伝説」「雪霊伝説」「黒魔術」「剣持警部の殺人」「雪鬼伝説」「狐火流し」「吸血桜」「雷祭」「聖なる夜の殺人」「瞬間消失の謎」「不動高校学園祭」

※太字は特に映像化を希望しているもの

リメイクに関しては続編でやらなくても良いとは思うが、地獄の傀儡師を出すとなるとやはり「魔術列車」は外せないし、二代目でドラマ化したものには少なからず不満があったので私としてはリメイクで見てみたいという気持ちがある。

異人館ホテル」と「首吊り学園」はどちらも初代で映像化されているが、傑作揃いの初代でもこの二作は1話完結にしたこともあって説明不足な部分があったり改変の影響でフーダニットとしてイマイチだったりと改善点は多いため、どちらか一方でも良いから前後編で見てみたい。(ミステリのクオリティ的には「首吊り学園」のリメイクを望むけど)

 

新作枠の方は、未だ映像化に至っていない「魔神遺跡」は勿論のこと、「天草財宝伝説」も捨てがたい。ただ五代目で「金田一少年の殺人」がリメイクされたおかげで、「天草財宝伝説」に関してはいつき陽介を登場させやすくなっているし、続編をやるならこっちを優先させて欲しいかも。

続編で地獄の傀儡師を出すとなると、やはり「黒魔術」か「剣持警部の殺人」のどちらかだろう。私としては、「金田一少年の殺人」をリメイクしたのだから反対に剣持が窮地に陥る「剣持警部の殺人」を映像化した方が連ドラとしては良いと思う。

また、冬の事件枠として「雪霊伝説」と「雪鬼伝説」を挙げたが、二代目以降冬の事件がほとんど映像化されていないため、SPドラマでも良いからどちらか一作は映像化して欲しいと思っている。前者はグロいトリックが後を引く一作で、後者は映像映えする豪快なトリックが印象に残る秀作だ。

Rシリーズからは「雪鬼伝説」に加えて「狐火流し」「吸血桜」も挙げたが、「狐火流し」は既にアニメ化されているし、あの切ない感じをドラマで見てみたいので個人的イチオシは「狐火流し」になる。

あと五代目で短編が初めて映像化されたので、もし続編で短編をやるなら「瞬間消失の謎」「不動高校学園祭」、それから「聖なる夜の殺人」なんか良いと思う。「瞬間消失の謎」「不動高校学園祭」はどちらも学園祭の時に起こった事件だから、二編をまとめて1本のSPドラマとして放送すれば尺的にも丁度良さそうだ。

 

 

さて、長くなったが以上で五代目金田一少年の感想・評価を終える。主演の道枝さんをはじめとするドラマ制作陣の方のおかげで約4ヶ月楽しい時間を過ごせました。改めて感謝します。

犯人大健闘の「オペラ座館・第三の殺人」が映像化!(五代目「金田一少年の事件簿」#9)

オペラ座の怪人といえばこのテーマソングですよね。


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(以下、ドラマと原作のネタバレあり。ただし今回は前編のため真犯人やトリックについての言及はしないのでご安心を)

 

File.7「オペラ座館 ファントムの殺人」(前編)

金田一少年の事件簿 File(28) 金田一少年の事件簿 File (週刊少年マガジンコミックス)

五代目金田一の最終エピソードは2005年の9月から12月にかけて連載された「オペラ座館・第三の殺人」。「金田一少年の決死行」の事件を解決後、とある事情全国行脚の旅に出ていたはじめが、美雪・剣持と数年ぶりに再会した頃に起こった事件であり、シリーズ第一作目となるオペラ座館殺人事件」と同じ、歌島のオペラ座館を舞台にした三度目の連続殺人が描かれている。

 

オペラ座館は1992年発表の記念すべき第一作目「オペラ座館殺人事件」で不動高校の演劇部が殺害される事件が発生し、2年後の1994年ではオペラ座館・新たなる殺人」として漫画ではなく小説で発表されている。この第二の事件ではオペラ座館オーナー・黒沢和馬の門下生である劇団「幻想」のメンバーが殺害された。

そして本作「第三の殺人」では黒沢が死亡後のオペラ座館二代目オーナー・響静歌が、オペラ座館を取り壊す前にお別れ公演として劇団「遊民蜂起」による舞台「オペラ座の怪人」を開演、その招待客としてはじめ達が呼ばれた所から物語は始まる。

 

1992年の事件と94年の小説版の事件、そして本作の事件の3つを合わせてオペラ座館三部作とファンの間では称されており、一作目は粗削りで不完全な部分も多いが、「新たなる殺人」「第三の殺人」はそれぞれトリックも物語も非常に凝った作りになっていておススメ出来る作品となっている。出来れば一作目から読んで欲しいが、勿論いきなり「第三の殺人」から読んでも問題ない中身になっているので、順番にこだわらず手に取れる範囲からで読んでみてもらいたい。

ちなみに、新シリーズ「金田一37歳の事件簿」の第一作目も歌島が殺人の舞台となっており、こちらではオペラ座館倒壊後に歌島がリゾート地として再開発され、そこで開催される婚活イベントのコンダクターとしてはじめが訪れる展開になっている。当然ながら四度目の殺人が起こるが、オペラ座館三部作と異なり、かなり異色な事件となっているので、興味ある方は是非一読を。

 

三部作にはそれぞれ特色があり、前二作の事件ではガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』に見立てた連続殺人だった。しかし本作「第三の殺人」では最初のシャンデリアによる殺人を除くと見立て殺人になっておらず、前二作の予定調和を壊した連続殺人になっているのが特色の一つとして挙げられる。

また、剣持警部が犯人に襲われ行方不明になったり、はじめとルポライターの白神による推理対決があったりと、これまでにない趣向が盛り込まれているのも注目ポイントだ。

 

ドラマ化は初となるが、2007年にスペシャル版としてアニメ化しており、その際のタイトルは「オペラ座館最後の殺人」となっている。放送時間は50分ほどで、その尺にまとめたため内容も大幅にカット・変更されている。特に原作における第二の殺人は丸ごとカットされなかったことになっており、今見ても無理に1時間枠で放送せず原作通りやってほしかったと思うばかりだ。

 

例によって初のドラマ化となるので、原作の登場人物をおさらいして簡単に注目ポイントを挙げていこう。

 

〇登場人物一覧(括弧内は年齢)

オペラ座館

響静歌(50):二代目オーナー。元作曲家。

響美土里(17):静歌の娘。母親とはあまり仲が良くない。

 

劇団「遊民蜂起」

城龍也(28):劇団員。舞台で怪人ファントムを演じる

三鬼谷巧(22):劇団員。レオナにぞっこん。

絵門いずみ(25):劇団員。舞台でカルロッタを演じる。

湖月レオナ(20):劇団員。舞台でクリスティーヌを演じる。

影島十三(45):演出家。黒沢の一番弟子。

 

氷森冬彦(20):元劇団員で招待客の一人。

白神海人(28):ミステリールポライター。本作の「もう一人の探偵役」

 

霧生鋭治:新人俳優。軽井沢の合宿中の火事で顔に火傷を負う。

黒沢和馬:故人。オペラ座館の元オーナーで崖から車ごと海に転落し死亡。

 

アニメ版は尺の都合で響美土里・三鬼谷巧・白神海人がカットされているが、今回のドラマは美土里以外は全員登場しており、追加メンバーとして佐木が参加している。そして殺人の舞台となるオペラ座館は原作と異なり、ロープウェイに乗っていかなければならない山の高所に建つ館として改変されている。ということで絶海の孤島ならぬ陸の孤島で事件が起こるが、一応相違点について指摘しておこう。

 

ご承知の通り、今回のドラマは過去に殺人が起こっていないオペラ座館のため、剣持と黒沢が友人だったというオリジナルの設定が追加され、親友のよしみで黒沢の追悼公演に招待されたという流れになっている。それにしても五代目の剣持はジャーナリストや旧家の後妻、更には有名演出家と、実に人脈が幅広い

剣持と同様に他の登場人物のキャラ設定も一部変更されており、白神がオペラ座館の元所有者一族の人間である情報もカットされているし、湖月レオナは原作と比べてつんけんした感じの女性になっている。つんけんしてはいるが、原作同様氷森や三鬼谷に言い寄られる魔性の女として描かれている点は同じだ。

 

次に事件の改変について。今回注目すべきは時系列だが、原作の第二の殺人・三鬼谷殺しは、剣持が襲撃されてから約2時間後に起こった事件だった。しかしドラマでは剣持襲撃の翌朝に起こったため、夜間ではなく午前中の出来事として描かれている。そのため、雨が降るなか窓の外からレオナの部屋を襲撃するファントム…という雰囲気ある原作の描写と比べると、やや味気なさを感じてしまった。また、三鬼谷の死体発見と「ファントム事件」のあらましが語られる場面が前後逆になっているのも変更ポイントの一つとして挙げられる。

前編の終盤、はじめ達が地下迷宮を見つける下りがあったが、これも原作と時系列が異なっており、原作では第三の殺人が起こった際に地下迷宮の道を発見する流れになっている。これは原作通りやると前編が中途半端な形で終わってしまうため、前編の締めとして地下迷宮の場面を持ってきたのだろうが、これによって地下迷宮発見の切っ掛けが離れの塔で発見した霧生の日記に変えられている。この日記は原作だと普通に開けられるのだが、ドラマでは鍵付きの日記となっており、その開錠を佐木がやることとなった。ホント、五代目の佐木は有能だよ。

 

他にも離れの塔の明かりが消えた時の状況や、シャンデリア落下時の状況など細かい差異が見られるが、これは事件のネタバレになるため次回の事件解説で述べたいと思う。

 

さいごに

ドラマの最終エピソードとしてチョイスされた本作は、正に最終エピソードに相応しいトリックであり、犯人もある一点を除いてミスをしておらず、その健闘ぶりは船津紳平「金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿」でも言及されている。前編の段階では時系列の入れ替え程度で特に大きな改変はしていないため、最終回は安心して見られそうだ。

結局予想していた「狐火流し」や「魔神遺跡」は今回の五代目で映像化されなかったけど、原作者の天樹征丸氏が続編をにおわすようなツイートをしているから期待していいのかな…?

ナンバMG5ざっくり感想 #10(情熱は伝播していく)

※次回の後日談回でドラマは完結しますが、当ブログでの感想は今回でシメようと思います。

 

10話(最終回)感想

ナンバデッドエンド(15) (少年チャンピオン・コミックス)

最終回となる10話は、白百合高校で起こった襲撃事件後の難破一家と藤田らクラスメイトの剛退学に対する抗議活動が描かれる。前に原作のお試し版を読んだ記憶が確かならば、両親と剛の和解にはもう少し時間がかかったように思うが、ドラマでは割とすんなり和解したようで、これは前回父親の勝が仕事で「義理人情で社会が動いている訳ではない」という取引先の人の一言が影響を及ぼし、すんなり剛のことを許せたと視聴者に理解出来るよう描写されていたので特に違和感はなかったと思う。

 

兄の猛は両親と違い剛のことが許せずにいたが、家族の中で猛が一番時間の止まった人間なので、自分の中で消化するのに時間がかかるタイプだとは思っていたよ。なまじ関東を制覇してしまったが故に、両親以上に力でのし上がることにこだわって弟にそれを託したのだろう。それに、猛は最強の男だけどそれゆえ孤独というか、価値観を共有する仲間のような存在がいないから、伍代や大丸といった仲間が剛にいることに少しは嫉妬の感情はあっただろうし、そうやって仲間同士助け合い成長してゆく弟に置いてけぼりにされていく寂しさが猛を天邪鬼にさせたのかなと思っている。

最終的に弟の将来を邪魔しようとするグレ一味を倒し剛と和解したが、あそこでようやく猛は(ある意味)幼児退行していた自分を捨てて弟を守る兄貴としての務めを果たしたのだから、最後の最後に兄・猛の成長が描かれたのも和解の場面の感動を後押ししていたように思うのだ。

 

原作だと「デッドエンド」編に入る前に猛をメインにしたエピソードがあって彼の人となりがわかるのだけど、ドラマは1クールで描き切る必要があり、剛の物語としてまとめる分、猛の描写はどうしても減ってしまう。原作で猛と剛がドラマと同様の形で和解したのかどうかそれはわからないが、猛は「関東最強の男」というチートキャラ的な設定が与えられた役どころであり、ドラマでは彼がある種のコメディ・リリーフとして立ち回っていたため、終盤のシリアスな展開に(下手したら)猛が馴染めない可能性もあった。しかし、ドラマはそこを考えて兄弟の和解を終盤に持ってきたのが脚本の舵取りとして効果的だったし、チートキャラであるがゆえの頑なさと孤独が伝わるようになっていたのも良かったと思う。

 

藤田たちクラスメイトによる体育館立て籠もりの抗議活動は、学園ドラマではお馴染みの風景でありベタな展開であることに変わりはないが、そこに至るまでに剛がやってきたことや彼の勇気・情熱が伝播しているというのが素敵な所で、特に島崎なんかは初回のヘタレなままの彼だったら校長に抗議する勇気なんて湧いてこなかっただろうし、クラスメイトだって一致団結出来なかっただろう。

 

この抗議活動の場面では、事情を知らなかったり心のない他のクラスの生徒の誹謗中傷があったり、抗議活動をやめさせようと内申や推薦を引き合いに出した生徒指導の先生に折れて抗議活動を降りる生徒がいたりと、現実世界でもあり得る人の動きというか心理も描かれている。そのことでちょっと脱線するかもしれないが言っておきたいことがある。

1960年代や70年代には今回の抗議活動のような学生運動がざらにあった時期で、今回の出来事はそれを想起させるものがあるけど、学生運動が盛んな時期にそういった活動に関わらなかった人はノンポリ(nonpolitical の略)と呼ばれていた。だから抗議活動に関わらなかった眼鏡の女生徒がいたでしょ?彼女なんかは正にそのノンポリで、今の時代はどっちかというとこのノンポリ派が多数派になっていると私なんかは思うから、ノンポリを決め込まずに誰かのために自分の人生を賭けることのカッコ良さ(或いは難しさ)が一貫して描かれているのもこの作品の素晴らしさなのかなと思うのだ。

 

総評 ~何故ここまで視聴者の心を動かすドラマになったのか~

当初は水曜の新ドラマ枠に2005年に発表された原作を、それも不良モノをチョイスするなんて何を考えてるんだ…?という感じで、裏のドラマともかぶるのによくもまぁ喧嘩を売るようなことをしたものだと思った(実際そういう所はテレビ局としてあるのかもしれないが…)。私は間宮さんのファンとしてずっとドラマを追っていくと決めたので、内容はどうあれそれなりに評価されたらファンとして嬉しいな~という思いで見ていた。

最初の1~3話くらいまでは面白さとしては中の上で、ネットでの反響も「そこそこ面白いドラマ」みたいな感じだったと思うが、4話以降からあれよあれよという間に視聴率に反比例して評判が高まっていき、最終回に至ってはTwitter の方で10万ツイートを超える勢いでツイートされていたから、客観的に見ても多くの人の心をわしづかみにしたドラマであることはまず間違いないと言って良いだろう。

 

では何故ここまで多くの人の心を動かすドラマになったのかと考えたが、その一因としてコロナ禍はやはり関係していると私は思うんだよね。

別にコロナ禍に限らないかもしれないが、私たち人間は生活の安寧のために多くのことを妥協したり諦めたり、或いは犠牲にして今何とか食いつないでいる部分がある。特にコロナ禍の学生は修学旅行が行けなくなったり、スポーツの大会に出場出来なくなったりと、今しか出来ないことを諦めざるを得ない人が至る所にいて、そういった人々の悲鳴が報道として流れた。そんな折にこのドラマが放送され、難破剛の生き様に何か感動を覚えたり勇気づけられたり、憧れを持った視聴者はいたのではないかと思う。

勿論剛のいる世界にコロナ禍はないけど、普通なら妥協してヤンキー街道を行くはずの男が自分が憧れた「普通の学生生活」を送るために二重生活という危ない橋を渡り、その過程で得た仲間によって彼が支えられたり、反対にその仲間を助けるべく奔走したりと「不良」としても「学生」としても必死に誰かの支えになろうとする彼は、コロナ禍だけでなく人生で色んなものを捨て妥協してきた現実の視聴者にとってもヒーローだったと言えるだろう。

これは「ナンバMG5」に限らず、フィクションには私たち現実社会の人間が人生の中で妥協した結果捨てたり犠牲にしたものが堆積され結晶化したものが含まれている。だからこそ私たちは物語に感銘を受けたり感動することが出来るのじゃないかと思うし、本作がここまでの人気ドラマになったのも、元の物語のテーマ性と今のご時世がバチっとはまったからだと考えられるのだ。

 

あと人気になった理由として挙げられるのはストーリーのストレートさかな。昨今のドラマは考察とか過剰な演出とかを売りにしたドラマも多いが、そういうドラマで頭をはたらかせること自体私は嫌いではないし、当ブログはどちらかというとその考察に頭をはたらかせることが好きな人間が書いているので、逆に本作のような不良が活躍するドラマの感想を書いているのがむしろイレギュラーなのだ。

とはいえ、考察系のドラマは頭をはたらかせる分ちょっと見ていて疲れる部分はあるし、人の言葉の裏を読んだりしないといけないから、そういうのに慣れていない人には最近のドラマが肌に合わないというか、登場人物に感情移入出来なくてう~んとなってしまう所があるのではないかと思う。その点本作は最近のドラマではめっきりやらなくなったホームドラマ要素があるし、登場人物も善悪を問わずストレートな人間が多くて捻くれた人間の方が少なかったから、内容的にもガツンとダイレクトに視聴者に届く物語だったと思う。

 

そしてこれが一番重要かもしれないが、ドラマ制作陣・演者の熱量と原作そのものが持つ熱量が一体となれたことが、見る人の心を動かすドラマになった最大の要因だと今は確信をもって言える。ドラマの中には作り手と視聴者との間に距離感があるドラマも少なからずあるし、クリエイターの自己満足に完結してしまった作品も残念ながらあるのだが、本作のドラマの公式Twitter では毎話オフショットやメイキング映像が公開され、視聴者に見せても恥ずかしくないドラマ作りが一貫してアピールされていた(宣伝の目的も当然あるだろうが…w)。視聴者だけでなく演者の中からも続編や映画化の声があがったのだから、その思いに嘘偽りは決してないだろう。

 

間宮さんのファンなら既に知っているはずだが、先日のめざましテレビで放送された間宮さんのクランクアップ映像において、クランクアップ済みの難破一家三人がサプライズで駆け付けたことに間宮さんが思わず号泣する下りがあった。

私もこれまで彼の出演作は(全部ではないが)見ているし、クランクアップの様子とかもネット記事なんかで調べて見ることもあるが、こうして人前で演技以外で涙を流すようなことは滅多にないので、ちょっと驚いた。

これまで間宮さんが載っている雑誌や写真集にあるインタビューで彼の発言を読んだ感じだと、間宮さんって未成年の頃から感情の整理整頓が物凄く上手な人っていう印象を私は受けたのよ。学生の頃から俯瞰的に物事を見る傾向があって、嫌なことがあっても冷静に受け止められる性格であることを本人も述懐していたからね。ただ、その達観的な感受性がアダとなってマネージャーさんから注意されたり共感性の低い人だと誤解されたりしたというエピソードも聞いていたから、今回のドラマで男泣きという、ある意味整理出来ていない感情を発露したという所に私も心揺さぶられるものがあったと思う次第だ。

 

あ、別にこれまでの間宮さんがダメで今回ようやく人間的にも成長したとかそういうことを言いたいのではないよ?ただ、今まで(特に未成年の頃)はどちらかというと間宮さん自身の精神と演じるキャラクターの精神との間に溝があって、そのキャラの心理をある種教科書的に把握して演技として出していた可能性はあったと思う。つまり、自分と演じる役が渾然一体となっていなかったのではないかという推測なのだが、この課題点を間宮さんは多くの作品に出演し、共演者やスタッフの人、もっと言うとファンの方々といった多くの人の心や精神に触れることで、整理出来ない感情(怒りや悲しみなど)を機械的にではなく直感的・感覚的に体得していったのではないだろうか。それが本作「ナンバMG5」で最大に結実したから間宮さんは難破剛と渾然一体となれたのかもしれないし、そういう場や空気感の構築にドラマスタッフや共演者が貢献したのは間違いないことだと思う。

だからあの男泣きって本当に共演者のことを家族と認識出来ていないと泣けないはずだし、そこを報道を通じて見ることが出来たのは一人のファンとして嬉しかったな~。

 

 

ということで、以上でドラマ「ナンバMG5」の感想は終わり。間宮さんはまた別のドラマに出演するが、3シーズン連続の出演となるから体調だけは崩さないでほしいな。