タリホーです。

趣味を中心とした話題に触れていく所存(本格ミステリ・鬼太郎 etc.)

彼岸を描く悪魔と此岸へ戻す警視、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」4話

依頼人は死んだ (文春文庫)

前回がアンチ・ミステリならば、今回は冒頭で葉村が言ったようにホラーと呼ぶべきだろう。

これまでは原作未読でドラマ視聴を続けてきたが、今回からは原作既読で臨むことにした。来週から最終回までは『悪いうさぎ』がドラマ化されると聞いたので、それも購入。一気に読まずに少しずつ読んでいくつもり。

 

(以下、ドラマと原作のネタバレあり)

 

「濃紺の悪魔」「都合のいい地獄」

今回の原作は『依頼人は死んだ』所収「濃紺の悪魔」「都合のいい地獄」。原作の一番最初にくるのが「濃紺の悪魔」でその間に先週放送された「わたしの調査に手加減はない」を含む7編の事件がはさまり、最後に「都合のいい地獄」となる。一応連作短編集という形式のため、合間に挿入された事件が最後の「都合のいい地獄」に関係してくるのだが、具体的なことについてはおいおい話すとして、事件についてざっくりと。

 

前半の松島詩織の事件は原作の「濃紺の悪魔」、後半の葉村と“濃紺の悪魔”との駆け引きは「都合のいい地獄」が元になっている。

経営家として人気の松島が葉村たちに身辺警護を依頼するが、連続する嫌がらせ行為や奇禍、更に2週間という限定的な警護依頼に葉村は違和感を覚える。松島にその点を問い質すと、彼女は数週間前に“濃紺の悪魔”と死の契約を交わしており、それが原因で命を狙われているというのだ。

しかし、葉村は嫌がらせ行為をした人間を調べていくにつれ、これまでの奇禍は松島の自作自演ではないかと疑う。一連の事件は彼女の自作自演なのかそれとも…?

 

原作では最後に“濃紺の悪魔”の存在が仄めかされ、一旦事件は幕を閉じるが、後にとある犯罪者の自殺が起こり、そこで彼の存在が再浮上。彼は葉村に「その犯罪者がなぜ殺しをしたのか、その動機を教えるから指定の場所に来い」と言い、一方で葉村に近しい人物が数十分後に別場所で死ぬかもしれないと仄めかす。「殺人の真相」と「生命の危機」、葉村はその選択に悩むことになる。

ドラマではその犯罪者が葉村の姉の珠洲に置き換えられており、濃紺の悪魔はそれを取引材料に用いて葉村を翻弄した。

 

今回は野間口徹さん演じる濃紺の悪魔が捕らえどころのない、実在さえも疑ってしまうような幻想味溢れるキャラクターを演じていたため、原作未読だとこの話をどう捉えるべきか間違いなく迷ったが、原作を読んでいたおかげである程度この物語の輪郭を掴めた気がする。

 

「たいていの人間は無意味な死を遂げる。(中略)いつやってくるかわからない、その死の恐怖に怯えながら生きているのが人間だ。地獄だと、思わないか」

「(前略)ある人間の死が無意味なら、そいつの生だって無意味だ。自分の人生なのに都合も予定もたてられないんだぜ? だから俺は松島詩織を初めとして、いろんなやつらに、自分の死を選ばせてやった。(中略)この先、いつまでも地獄で無意味に生き続けるより、やつらの生は、自分自身でピリオドを打つことで、はっきりと意味あるものになったんだ」

 上で引用したのは、原作で葉村に対して語りかけた濃紺の悪魔の人生観とでも言うべき一言。

後に明かされる濃紺の悪魔の経歴を知れば、彼が人の不幸や不条理な死を見すぎた結果、こういう思想を抱くようになったのかな?とそれなりに理解することは出来る。だとしてもこれは極論・暴論の類だな~と思う。

確かにこの世が地獄であることは否定出来ないが、かといって全てが地獄という訳でもないし、そもそも死に意味付けをするのは生き残った者が死者の生き様(善行・悪行含めて)を正当化するための目的もあるから、本来死そのものに「自然の摂理」以上の意味などないのだ

しかし、濃紺の悪魔は「意味ある死」の妄執に捕らわれ、普段死を意識したことがない人間がぽつりと呟く「死にたい」という感情に付け入り、死の原因となる事象を誘発させてターゲットを彼岸に追いやろうとした。

彼岸という一線を描き出すことで日常に死をもたらす悪魔。ちょっと洒落た感じに言うとこんな具合だろうか。

 

少し話は変わって些末なことについて考える。一応人を死に追いやっているというのに、どうして彼は濃紺の“悪魔”であって“死神”ではないのだろうか?

これは原作を読んだからわかったことだが、濃紺の悪魔には直接死に至らしめるような暗示をかける能力はない。特定の場所に行かせるとか、自分のしたことを忘れさせたり、反対に思い込ませたりする能力があるに過ぎない。人間離れしているように見えるが、結局は催眠術師まがいの人間で、悪魔のように誘発は出来ても、死神ほど死を司れる訳ではないことが原作では説明づけられている。※

 

※誘発によって善にも悪にも傾く人間のモチーフにやじろべえが使われたが、これは原作には出てこないモチーフで個人的に興味深い演出だった。

(2020.02.15追記)

 

ちなみに、ドラマでは濃紺の悪魔がかつて裁判官だったという設定になっていたが、原作では葉村と同じ探偵だったというぼんやりとした経歴しか明かされていない。でもこれだけでも十分意味があって、それだけ探偵稼業が彼岸に片足を突っ込みやすい仕事だということを示しているのだ。

濃紺の悪魔は探偵稼業で出くわした体験によって病的な思想に取り憑かれ、彼岸へ行ってしまった。そして葉村も知らず知らずのうちに濃紺の悪魔によって彼岸に片足を突っ込み、必要以上に彼に関わってしまったことになる。

これはひとえに彼女の優しさというか誠実さが彼に隙を与えてしまった訳なのだが、どこまで事件に関わるか、その線引きを弁えておくのも探偵に必要な能力だな~と感じた。仕事として割り切るべき所は割り切ってしまえということだろう。

 

原作では葉村を此岸へ呼び戻したのは村木や探偵所の所長なのだが、ドラマでは所長は登場しないし村木も負傷しているため、その役目を岡田警視が担う。

物語をミステリとして着地させたり、「誤った真実」を軌道修正させ「真実」へと葉村を導いてきた岡田警視。今回松島詩織の一件を知った彼は、葉村に対して関わり過ぎると彼岸に連れて行かれる案件だということを「深淵を覗く時深淵もまたあなたを覗いている」「好奇心は猫を殺す」の言葉で忠告した。最後に拍手をしたのも、葉村が濃紺の悪魔の拍手によってかけられた暗示を解除し、此岸に戻す意味合いがあったと考えるべきだろう。

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©NHK

余談になるが、「深淵を覗く時深淵もまたあなたを覗いている」という言葉は19世紀の哲学者ニーチェの言葉らしい。

dic.nicovideo.jp

ニーチェと言えば、私が間宮さんにハマる切っ掛けになった作品ニーチェ先生を思い出して、私はそのつながりに一人喜んでいた。(*^▽^*)

ニーチェ先生 DVD-BOX

「#好きな邦画とりあえず9本」挙げてみた

いざ考えるとパッと出てこないもので、10分くらい考えた結果がこちら。出来るだけ出演者の重複は避け、ジャンルも偏りすぎないようにしたら以上の9本になった。(映画通ではないので、かなりエンタメ寄り)

 

大誘拐

大誘拐 RAINBOW KIDS [DVD]

嶋田久作さんって強面の印象があったのだけど、そんな印象を瓦解させてくれたのがこの作品。この作品に出演している人のほとんどが鬼籍に入っている点も含めて郷愁を感じさせる。上品な老婦人を演じられる女優さんは今でもいるけれど基本的にスラっとしていて、「田舎に住んでいるちんまりとした老婦人」感が出せる人はもういないんじゃないかな。この間、富司純子さんでリメイクされたけど、原作を読んだ時は市原悦子さんでリメイクして欲しいと思っていた。今となっては叶わぬ夢だが。

 

悪魔の手毬唄

悪魔の手毬唄[東宝DVD名作セレクション]

石坂金田一の中から一作選べと言われたら、デビュー作の「犬神家の一族」よりも「悪魔の手毬唄」を選ぶ。気を引き締めないで観たら、絶対泣く。もうそれ位に感動するんだよこれは。あと、常田富士男さん演じる辰蔵が死体を発見した時のリアクションには毎回笑ってしまう。っていうか何気に「悪魔の手毬唄」映像化作品に出てくる辰蔵の中で一番好きなのが常田さん演じる辰蔵なんだよな。

 

全員死刑

全員死刑【DVD】

間宮さん出演作、「ライチ☆光クラブ」や「殺さない彼と死なない彼女」も候補に入っていたが、やはり初主演作を推そうと思った。確か旧・京都みなみ会館で観たんだよな~。今まで映画は両親と一緒に観てきたが、この「全員死刑」で初めて一人で映画を観る体験をしたのは良い想い出。割とえげつないことやっているけどタカノリは真っ当だと思うんだ。生まれてくる家を間違えただけなんだアイツは。やったことは許されないけど、思わず同情してしまう所もある、ただ胸糞悪いだけの映画じゃない。あと間宮さんのファンとしては「喘ぐ」場面で反応してしまう♡。

 

ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌

ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌 スタンダード・エディション [DVD]

「邦キチ!映子さん」でも紹介された一作。作風としては正に日本のB級映画らしいキャスティングで、原作ファンとして「これは許せない」派もいると思うのだけど、私はやっぱりこの映画が好き。(そもそも鬼太郎を原作通り実写化させるのは、仮に子役を使ったとしても100%無理だと思っているから!!)第一作目の方は「天狐」と「妖怪大裁判」をがっちゃんこさせた脚本で、割と子供向けなテイストだったが、こちらはシリアス路線でモブ妖怪もホラー寄りのデザインになっている。佐野史郎さん演じる蛇骨婆の怪演っぷりも素晴らしいし、ガシャドクロが動く場面が観られるだけでも儲けものだと思っている。

 

TRICK劇場版」

トリック -劇場版- 超完全版 [DVD]

私の「ミステリ映画」の人生初体験はこれなんじゃないかなあ。厳密に言うと小学生の時テレビで観た「犬神家の一族」(リメイク版)だけど、その当時はミステリ映画として観てなかったからノーカン。後年どんどんギャグの割合が増していくなかで、まだシリアスみがあって、山田里見が金の亡者になる途上の頃の話。そういえば、当時映画館で売っていたグッズって何があったのだろうね?泣き鬼・笑い鬼のキーホルダーとかもしあったら欲しかった。

 

妖怪大戦争」(2005年版)

妖怪大戦争【特典DVD付3枚組】 [Blu-ray]

大映版「妖怪大戦争」や水木先生によってコミカライズされたものと異なり、一部を除いて大多数の妖怪が戦争していないというまさかのシナリオ。多分これを観たほとんどの方は「戦争してないのに『妖怪大戦争』ってタイトル詐欺じゃねーか!」って思いで低評価をつけるのだろうが、私は「あ、私たちは人間のアタマで考えすぎているのかも」と、何だか価値観を改めさせられた気分だった。妖怪にまで協調性や敵討ちの精神を求めるのはお門違いだったのだ。まぁそんな難しいことを考えなくても水木先生が出演しているだけで十分お宝な作品なのです。

 

姑獲鳥の夏

姑獲鳥の夏 [DVD]

この次の「魍魎の匣」は何だコレって感じになってしまったが、始まりとなるこの作品はかなり原作準拠で面白かったんだよな。いしだあゆみさん演じる久遠寺菊乃の叫び声が耳に残る。まさか闇営業で懊悩するとはこの当時思わなかった宮迫さんが木場の旦那として出演。っていうか、よくよくキャストを見るとレギュラー陣のほとんどが原作のビジュアルと離れているな。あ、田中麗奈さんの中禅寺敦子は近かったよ。

 

平成狸合戦ぽんぽこ

平成狸合戦ぽんぽこ [DVD]

私が生まれて初めて観た映画は「千と千尋の神隠し」で、当然推すべきはそっちだけど、敢えてこっちを。タイトルに平成と付いているからこの映画もまた「大誘拐」と同様、郷愁を感じる映画になったな~と、しみじみ思うのだ。ゲゲゲの鬼太郎に出て来る狸軍団と違って世知辛さとか生死といった人生の流れを感じさせるのも良い。妖怪パレードはもう言うことなしです。

 

テルマエ・ロマエ

テルマエ・ロマエ 通常盤 [DVD]

一瞬「ハンサム☆スーツ」にしようか迷ったけど、テレビで放送されたらリアタイ視聴するのはどっち?って聞かれたらテルマエ・ロマエ。主演の阿部寛さんも良いけど、いか八朗さんがいい味出してる。映画通じゃないから偉そうに言ったらダメだけど、老人を魅力的に描く作品は名作が多い気がする。話は反れるが、顔の濃さといい、ギャグ・シリアス両方いけることといい、間宮さんって「ポスト・阿部寛」の素養を十分満たしているような気がするんだよね。今後どこかで共演とかしてくれたら良いのにな。

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第92話「構成作家は天邪鬼」視聴

ドッキリ企画の中で好きなのは「百人隊」、逆に嫌いなのは「大物芸人に激怒される」系のドッキリ。いくらジョークでも怒られたくないし怒られるのを見るのも嫌いなのだよ…。

 

天邪鬼

ja.wikipedia.org

妖怪の中で最も人間心理に根ざした妖怪といえば、やはり天邪鬼だろう。そのルーツは『古事記』『日本書紀』における天稚彦や天探女にあると言われているが、天稚彦や天探女は特別ひねくれ者だったという記録はない。むしろ、スサノオから生み出された天逆毎という女神の方が天邪鬼の性格に近い。

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仏法を妨げる悪鬼になったり、昔話「瓜子姫」に登場したり、ひねくれ者の代名詞として活躍するなど多方面で認知された天邪鬼は、アニメでは1~5期に皆勤で登場。1・3期は原作「天邪鬼」に則った物語となっているが、4期と今期はほぼオリジナルの物語。そして2・5期では原作「妖怪大裁判」の検事側妖怪として登場した。

ちなみに、原作で天邪鬼は「さとりの怪」とも言われ、相手の心を読み取る能力があるとされているが、4期と今期は相手の心を読み取る能力はカットされている。

 

ひねくれの本(もと)

これまで天邪鬼がメインとして登場したのは1・3・4期。そして各期では様々な事情で心がひねくれてしまった人間が登場する。それを比較してみるのも天邪鬼回の面白さだと思うので振り返ってみる。

まず1期は原作通り、戦争で息子と妻を喪った老人が出て来る。息子は特攻隊として散華、妻は空襲で死亡。一人生き残ってしまった老人は、世の中を妬ましく思い、人の幸福を憎み、誰かが不幸になったり死ぬことを喜びとして生きていた。そしてその悪感情を天邪鬼に読まれてしまい、結果天邪鬼の封印を解いてしまうことになる。

3期も同じく老人が登場するが、ひねくれの原因は孤独にあると言える。戦争を乗り越え、日本の復興に尽力したにもかかわらず、今の若者はそんな老人の苦労も知らずに遊び惚けていやがる…。若者に疎んじられる老人の孤独感が天邪鬼に付け入る隙を与えたのだ。

4期は資産家の若き令嬢・大河内百合香が登場。これまで登場した老人とは真逆の身分でありながら彼女もひねくれた人間であり、その原因として挙げられるのが資産家という身分。元々わがままに育てられたこともあるのだが、彼女の周りには資産目当てで集まる人間しかいなかったようで、そのため彼女は人間を斜に構えて見るようになったのだ。後に彼女は天邪鬼に誘拐され、鬼太郎たち(特にねずみ男)との出会いによって大きく成長することになる。

またこの展開によって、4期の天邪鬼回は鬼太郎アニメの名作群に数えられることになった

 

以上、各期の人間の「ひねくれの本」をおさらいしたが、今期主人公として登場したテレビディレクターの奥田は、何と珍しいことにひねくれていない!

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今までは「妖怪としての天邪鬼」「人間のひねくれた感情としての天邪鬼」の二つが描かれていたのだが、今回奥田は「妖怪としての天邪鬼」と「大衆が抱く悪感情としての天邪鬼(=他人の不幸を喜ぶ大衆心理)」に振り回されることになる。

 

天邪鬼を封じる方法

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の脚本は予告があったように伊達さんが担当。DVD4巻のブックレットに収録されたインタビューでは、シリーズディレクターの小川孝治氏が過去の作品が面白すぎて手を付けたくない作品として4期天邪鬼回を挙げたくらいだから、伊達氏も今回の脚本がいかにハードルの高い案件だったか承知していたはず。だからこそ、今回のプロットは得意分野であるテレビ業界を舞台にしたのかもしれない。

 

今期の物語自体は正直言うとそこまで「面白い!」と感激するようなものではなかった。仕事で結果を残せない奥田がねずみ男と天邪鬼に言われるまま過激なドッキリ番をプロデュース。高視聴率を叩き出し、これまで無関心だった息子も喜んで見ているが、より過激さを増す番組内容にヒヤヒヤ。そんな時、息子が起こした「事件」を切っ掛けに奥田は本来の自分を取り戻し、最後は自分の作るべき番組を見出し躍進する…という感じの物語。

終盤目玉おやじに重要なメッセージを語らせる辺りも今まで担当した脚本に近い所があるし、(序盤にぬらりひょんを出した割には)物語としての落としどころも普通だったかな~という感じで、脚本・作画に勢いのあった4期と比べるとどうしても凡作止まりに映った。

 

とはいえ、天邪鬼という「人間の心に根ざした妖怪」が出てきたこともあってか、色々と示唆に富む部分はあり、このまま凡作として本作の評価を終えるのは伊達氏にも悪いと思うので、ここからは「天邪鬼の封印」という面から読み解いていきたい。

 

これまで天邪鬼回は「妖怪としての天邪鬼」と「人間のひねくれた感情としての天邪鬼」を描いてきたことは先程も言ったが、原作・アニメ共に「妖怪としての天邪鬼」は大石魔除けの毘沙門天によって封印され、各登場人物が抱える「人間のひねくれた感情としての天邪鬼」は各々が抱える事情に即した解決策を以てその心中にいる天邪鬼を封印している。

1期は戦争が原因で「本来あるはずだった幸福」を奪われたことが老人のひねくれに起因しているが、事件決着後老人は「現在の幸福を奪うことは、戦争で命を犠牲にした人が築き上げた幸福を奪い無駄死にさせることになる」と自ら悟り、心の天邪鬼を封印した。

3期は孤独が最大の原因だったので、事件後老人は老人同士のつながりを以て「若者に負けない心」を培い心の天邪鬼を封印した。

4期は、天邪鬼とねずみ男の生き様を見て「必死に生きる」ことの大切さを知り、百合香は心の天邪鬼を封印した。他人の邪な感情がチラついてひねくれたのならば、いっそ自分中心に、周りの思惑など見えなくなるくらい必死に生きろ、ということなのだろう。

 

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

さて6期はどうだろうか。今期の「妖怪としての天邪鬼」は封印ではなく鬼太郎の指鉄砲によって退治されているし、主人公の奥田の心の中にも天邪鬼は潜んでいなかった。だから大石も魔除けの毘沙門天も出てこないし、奥田も別に心の天邪鬼を封印していない。

しかし、これまでの天邪鬼回同様、今回の物語にも心の天邪鬼を封印するのに必要なものが二つ描かれている

まず一つ目は良心に基づく価値観の尊重」。人の幸福を妬み不幸を喜ぶ大衆心理は決して絵空事ではなく、週刊誌のスキャンダルやワイドショーで如実に見られる。そこに天邪鬼が潜んでいるのなら、反対に「人の幸福を以て他人を幸せにする番組」こそが本来尊重されるべきものであり、奥田も今回の事件を以てその大切さに改めて気づいたはずだ。そしてそのような番組を作るためには己の良心に基づく価値観を大切に持たなければならない。周りに振り回されるような脆弱なものではない、確固とした価値観を。

 

ちょっと話は反れるが、この価値観の下りで妙な既視感を覚えた。何だろうと思っていたら5期の93話「おばけビルの妖怪紳士!」も己の価値観の尊重を描いた話だったなと思い出した。

lineup.toei-anim.co.jp

あの話も息子のいる親を中心に描いているから、ある意味今回の物語とリンクしている部分がある。また見返してみるのも良いかもしれない。

 

さて、天邪鬼の封印に必要なものとして「良心に基づく価値観の尊重」を挙げたが、これだけでは心の天邪鬼を封印することは出来ない。現に奥田は本来持っていた価値観で成果を出せず、邪な大衆心理に振り回されてしまっている。魔除けの毘沙門天のような、もっと重要なファクターが必要なのだ。

そんな魔除けの毘沙門天に匹敵するファクターとして、私は三者の視点を自覚すること」、これを心の天邪鬼を封印する二つ目のものとして提示する。

これまでの天邪鬼回もそうだが、心の中に天邪鬼がいる人間というのは得てして主観的に物事を見すぎる傾向が強い。4期の百合香が特にそうで、彼女は金目当てで寄ってくる者の視点が欠けており、「寄られる立場」でしか物事を見ていなかった。そこに「金目当てで寄る立場」のねずみ男のリアルな意見が入ったことで、彼女の心の中の天邪鬼が封印されたのだ。

 

今回の場合奥田に欠けていたのは「息子の視点」である。息子は父親がプロデュースする番組を見て、「テレビで親がこういうことをしているのだから、まねしても許される」と思い、同級生に同じ仕打ちをしてしまう。テレビマンとしての自分を優先させ、父親として見ている息子の視点に気づかなかったが故に息子の過ちを促すことになった。

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の物語では「息子の視点」となっているが、別に子供だけではなく親兄弟・会社の同僚・上司・部下等々、様々な人の視点を意識し考えるだけでも心の天邪鬼を抑制することは大いに出来る。

よく動画サイトとか掲示板とかで攻撃的な意見を見かけるのだけれど、もう少し他者に見られていることを考えたらこんなキツいこと言えないのではと思う。妬み嫉みは人間の自然な感情だから完全否定することはしないけれど、「良心に基づく価値観の尊重」と「第三者の視点を自覚すること」は人として備えておくべきスキルだよな、と思う次第である。

 

さいごに(蛇足と雑感)

・天邪鬼の封印を解いたぬらりひょんと朱の盆。今回に限っては登場する必要がなかった気がするが、登場しなかったら封印は解かれない訳であり、そうなると今回の事件は起きなかったから、やっぱり必要なのか。

『ゲゲゲの鬼太郎』第92話「構成作家は天邪鬼」より先行カット到着! 人の幸せを壊す様を撮って、放送しろと脅されて……の画像-7

©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

妖怪と人間の対立を激化させるためとはいえ、ほったらかしにしたという事は、特別メインの計画でもなかっただろうし、趣味と実益を兼ねて天邪鬼の封印を解いたと考えるべきだろう。

 

・あれだけ素人に向けて過激なドッキリを行っているにもかかわらず、視聴者からの苦情が届いている描写が無かったのは、視聴者=大衆が他人の不幸を求めていることを示すためなのだろうが、個人的には過激すぎて“やらせ”だと思って見ている人もいる可能性も捨てがたい。

一般人の自宅を崩壊させる行為をテレビで流すなんてあり得ないし、視聴者も「どうせあの家はセットで、家族はエキストラ雇ってんだろ?」って感じであの番組をドッキリ風エンターテインメントとして楽しんでいたのかも。人によっては「8時だョ!全員集合」の時のように、懐かしさを覚えて見ていた人もいたりして(屋台崩し系のコントとかあったしね)。

 

・「良心に基づく価値観の尊重」と「第三者の視点を自覚すること」について、実は前々から思う所があった。

(敢えてグループ名は伏せておくが)ネットを中心に活動するとあるグループを偶々知って、当初は割とチャラくて軽薄ささえ感じる所があると思って見ていたが、彼らがライブドームで「ファンでない人々からの誹謗中傷」を受けていたことを吐露する動画があり、声を詰まらせながら「それでもファンを幸せにするよう考えて活動したい」と言っているのを見た時は、「あ~、危ない危ない。私も気を付けないと」と思ったと同時に彼らを応援しようという気になった。

人によってはそういう弱さをファンに見せるのはプロの仕事としていかがなものかと難色を示すのかもしれないけれど、そういう感情は出してもらわないとなかなかわからないもので、彼らがその弱さを吐露してくれたのは良かった。自分の価値観を尊重する以上、相手の価値観を無闇に否定してはならないし、言われる立場も考えなければならないという自戒にもなったので、彼らの前途に幸があることを祈っている。

 

 

次回はまぼろしの汽車。ということは、吸血鬼ピーも出る!(モンローは出るのかわからないが)

吸血鬼絡みだからバックベアードの復活が関係している事件かどうかも気になる所。残り5回の予定だから、ここで入れないと流石に余裕ないだろうし…。

崩して浮かぶもう一つの物語、「アリバイ崩し承ります」2話(ネタバレあり)

アリバイ崩し承ります (実業之日本社文庫)

ドラマの前に放送していた「翔んで埼玉」の影響で、成田凌さんをドラマの間ずっと埼玉県人と呼んでいたことをお詫びいたします。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

「時計屋探偵とストーカーのアリバイ」

ドラマ2話は原作1話の「時計屋探偵とストーカーのアリバイ」に相当する。個人的に現在公開されている9編の中で最もよく出来た話だと思っているのがこの作品で、アリバイトリックだけでなく、それを崩すことで浮かび上がる「真実の物語」にもじ~んとさせられる。そしてトリックが物語と有機的に結びついているのが良いのだよな。

 

事件概要やアリバイについては改めて述べないが、原作と違うのは被害者杏子の弟安嵐は原作だと妹の安奈。また被害者が食べたケーキはモンブランフロマージュブランだったが、原作ではモカフロマージュブラン。そして、原作では背後から刺されて死亡していたが、ドラマでは正面から刺されて死亡したことになっている。特に刺された方向の違いについては映像化ならではのヒントになっていたので後程言及する。

そして、菊谷が述べたアリバイ時刻。原作では夜6~9時の間に居酒屋で友人と飲んでいたことになっており、7時頃に8分間中座した。一方ドラマでは夜6~12時まで居酒屋にいたことになっており(長ぇ!)、7時半に5分間中座した、という形になっている。

 

さて、前回はアリバイ崩しにおいて「別解潰し」が不徹底だったことが不満として残ったのだが、今回は特別それが不満になることはなかった。

というのも、前回は別解を潰していくことでアリバイの強固さが強調され、物語の謎を深めることになったのに対して、今回の場合は別解潰しをしなくても「被害者のSNS投稿」「被害者の胃や十二指腸の消化物」「大学の研究生の証言」によって殺害時刻の裏付けが為されているため、そもそも別解潰しをする余地がそれほど無いのだ

今回も原作に比べると別解潰しは徹底していなかったが、トリックの性質上重要ではなかったから、私は瑕疵だとは思わなかった。

 

以上をふまえて、今回の事件について詳しく解説。ここからガッツリネタバレするので、原作・ドラマをまだ見てない方は要注意

 

今回アリバイトリックを崩す端緒となったのは、研究生が土産として持ってきた塩饅頭を被害者が拒否したこと。この後喫茶店でケーキを食べるにもかかわらず「甘いものは控えておく」という理由で拒否したこの些細な矛盾から、時乃はアリバイトリックを暴く。

ところで、原作では「塩饅頭の拒否」も含めて刑事の〈僕〉が時乃に全ての情報を提供してから謎解きが始まるのに対して、ドラマでは察時が時乃に話した段階では「塩饅頭の拒否」という重要な情報は入ってきておらず、そのため私は「時乃はどこを取っ掛かりにしてアリバイを崩そうとするのか?」が気になっていた。

単に調べられる所から調べようと思って大学の研究室にアタックをかけたのかもしれないが、時乃が取っ掛かりにしたものとして考えられるのは「弁当とケーキ」ではなかったかと思っている。

弁当に入っていた「ハンバーグ・卵焼きブロッコリー・プチトマト・白米」とケーキのモンブラン・黄桃・緑色の葉・ラズベリーフロマージュブラン」。この二者の色の相似に時乃が気づいたから、それが単なる偶然ではないと思って事件当日被害者と時間を共にするのが最も長かった大学の研究生にアタックをかけたのだろう…というのが私なりの推測だ。

 

「塩饅頭の拒否」から導き出される「食物をズラすアリバイトリック」も秀逸ながら、それと同時に被害者同意の下で行われた殺人」という真相が明かされるのが本作の凄い所で、これによって菊谷の悪質な動機による犯行だと思われていたものが実は愛する者のために殺さざるを得なかったという悲しい動機によるものだったことが判明。元妻の遺志を継いで悪役に徹しなければならなかった菊谷を思うと何とも言えぬ気持ちになる。ミステリは「見かけ通りではない」ことを明かす物語だが、今回は特にその反転の鮮やかさと物悲しさが印象に残った。

 

実を言うと「被害者同意の下で行われた殺人」という真相につながるヒントは序盤から視聴者に提示されており、それが先程言及した「刺された方向」になる。

いくら元夫だからと言って、ストーカーに対して自宅で無防備にも正面から胸を刺されるなど普通はあり得ないし、抵抗して腕に傷が残るはずなのに実際にはそんな傷も争った形跡もなかったのだから、これはつまり被害者自身が刺殺されることを望んでいた事実を示していたことになる。この改変は映像化としてナイスだったと思う。

 

蛇足

・今回のアリバイトリック、「研究生に弁当の中を見られたらおしまいだったのでは?」という意見もあるかもしれないが、そこから失敗する恐れはなかったと思う。何故なら、(教授の立場である被害者と研究生の関係から考えて)被害者と研究生が隣り合わせで食事をするのは心理的に考えてまず起こらない状況だろうし、仮に見られても大丈夫なように弁当のおかずとよく似た色合いのケーキを用意している。なおかつ、研究生は被害者が「弁当を食べている」という先入観があるため、中を目視してもそれがケーキだと思わなかっただろう。

一応この点に関しては原作でも言及されているが、引っ掛かった人もいただろうからここに書く。

 

・察時のアリバイ崩しに疑念を抱く渡海。「バレた時の展開」「渡海がアリバイ崩しを依頼する可能性」があるかどうか注目していきたい。あと時乃の風呂場での食事シーンは今後も恒例行事のようにしていくのだろうか、そこも注目。

 

「アリバイ崩し」ミステリの紹介(食物が鍵となるアリバイ崩し)

前回に引き続き、今回もオススメの「アリバイ崩し」ミステリを紹介。今回は食物がアリバイ崩しのキーアイテムとなったが、これまでの作品でそんな話があったかな~と振り返っていたら、ありましたよ。

 

五つの時計―鮎川哲也短編傑作集〈1〉 (創元推理文庫)

鮎川哲也「五つの時計」(『五つの時計―鮎川哲也短編傑作集〈1〉』所収)

アリバイ崩しの傑作を読むなら、まず鮎川先生の鬼貫警部シリーズをオススメする。鬼貫警部シリーズも『アリバイ崩し承ります』同様、謎解き特化型の本格ミステリで、鬼貫警部のキャラに凝った所はないが、読むと彼の魅力がわかるんだよな。刑事だけどキツくなく、気さくな感じが特に良い。

そんな鬼貫警部ものの短編で今回は「五つの時計」を紹介。ある男が絞殺され、同じ職場の男に殺人容疑がかかるが、その男の許嫁は別の男が犯人だと言う。しかしその別の男(椙田)にはアリバイがあり、そのアリバイは五つの時計によって裏付けられていた…という物語。

ここで障壁となる五つの時計は「椙田の自宅の時計」「証人の腕時計」「ラジオの時計」「洋品店の時計」「蕎麦屋の時計」。一つ二つならまだしも、この五つをどうやって偽装し、アリバイを構築したのかが見所となる。実は五つのうち四つは真相を聞くと「な~んだ」と思ってしまうようなトリックなのだが、問題は五つ目の「蕎麦屋の時計」。詳しく言うとネタバレになるので婉曲に言うと、これは蕎麦でないと意味がないトリック。寿司やピザじゃ~ダメなのだ。

著者自身はあまり自信作だと思ってなかったらしいが、個人的には鬼貫警部もののアリバイ崩しの中でベスト3に入る位好き。トリックは勿論、鬼貫が偽装工作を疑う部分も注目して読んでもらいたい。

“アンチ・ミステリ”的な真実、「ハムラアキラ~世界で最も不運な探偵~」3話

前回、前々回と「ミステリとしての探偵物語」の色が強かったハムラアキラ。しかし、今回はかなり毛色の違う物語。

 

(以下、ドラマのネタバレあり)

 

「わたしの調査に手加減はない」

今回の原作は『依頼人は死んだ』所収の「わたしの調査に手加減はない」。今回も原作未読なので、ドラマの感想を。

葉村の元に、依頼人の慧美が訪れる。彼女は7年前に自殺した親友の香織が夢枕に立つことが原因でうなされており、葉村に彼女の死の真相を暴いて欲しいと言うのだ。早速彼女は香織の大学時代の友人を調査していくが、香織が不妊で悩んでいたことや、慧美が香織にただならぬ感情を抱いていたことがゼミ仲間の環によって明らかになっていく。そして葉村は警察から回してもらった調書を見てある仮説を導き出す。

 

物語の導入部分はアガサ・クリスティ『スリーピング・マーダー』を想起させる、「眠っていた殺人」を起こして真実を暴く形式のミステリなんだな~と思っていたが、ことはそう単純ではなかった。

女性同士の嫉妬や不妊に対する悩み、そして当てつけとして送られた年賀状…。葉村はそこから「慧美が送った年賀状が引き金になった自殺」と判断した。しかし、香織の死が自分のせいではないことを第三者に証明してもらいたかった慧美は激昂する。また、常連客のアケミや岡田警視は、葉村や警察の見立てに対して余りにも即物的過ぎるのではと疑念を抱く。

「私が間違っていたのでは…」。葉村が再調査すると、ゼミ仲間の環の隠された真実が浮かび上がる。

 

環を演じた松本まりかさんはここ最近出演したドラマの影響もあって、ただゼミ仲間の人間関係を教えてくれる“だけ”の役割ではないと思っていた方も多かっただろうが、まさか同性愛者だったとは思うまい(私もそこまでは読み取れなかった)。

香織が朗読した金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」二人きりで撮ったプリクラの思い出…。香織自身には大きな意味のなかった事が環にとっては大きな意味があり、環はそこから本来存在しないはずの「愛」を見出してしまったことが悲劇につながったと言えるだろう。

 

香織にとって「私と小鳥と鈴と」を朗読したのは同性愛者である喫茶店店主に配慮したからあの作品を選んだのだろうし、プリクラの一件も単に他の仲間を待ってまで撮る必要がなかったという「気まぐれ」程度の思いつきだったはず。

しかし、環はあの朗読から「香織は同性愛者も理解してくれるような広い心の持ち主」だと思い、プリクラの一件で「自分に特別な感情を抱いているから二人で撮ろうとしたのでは?」と思ったのかもしれない。

 

学生時代、国語のテストで登場人物の言動からその人物が何を考えているのか答える問題があった。国語で習う文学に止まらず、世の全ての創作物は深読みすることで意味を見出し本質や面白さを求めようとする。それによって相手を理解したり思いやる精神が育まれるのだが、現実ではそれが悪い方向に働く場合が多いのだよな。

今回の場合、環は香織の言動を深読みしてしまった結果「香織は同性愛にも理解ある人で自分のことも愛してくれるだろう」という期待を抱いていたに違いないが、香織は環の好意が同性愛から来る邪な好意だと誤った深読みをし彼女を拒絶。それが死につながってしまったという訳だ。

 

香織も環もどちらも即物的に考えず誤った深読みをしたが故に悲劇を生んでしまった。一方葉村は香織の死の真相を即物的に読み取ってしまい、危うく真実を見逃してしまうかもしれなかった。「即物的な考え」と「深読み」、対極的な思考が印象に残る物語である。

 

アンチ・ミステリ

さて、探偵小説では探偵が調査した手がかりを元に「真相」が語られ、結果も大体その通りなのだが、反対に「探偵の推理で導き出される真相が、必ずしも真実を語っているとは限らない」という形式の物語もある。ミステリマニアはこういった形式の小説を俗にアンチ・ミステリと呼ぶ。

アンチ・ミステリー - Wikipedia

ざっくり言うと、「神でもない人間が限られた情報だけで全てを知った気になるな」という訳であり、全知全能のような振舞いをする探偵に対する反感や疑念によって生み出されたジャンルと言えるだろう。

こういった「探偵の推理の不完全さ」は謎解きをメインとする推理小説にも付きまとう問題であり、こういった問題のことを後期クイーン的問題と呼ぶ。ミステリマニアには馴染みある問題なのだが、ミステリをよく知らない方のために一応ウィキペディアの記事を貼っておく。

後期クイーン的問題 - Wikipedia

 

今回の物語も、(喫茶店店主の証言という「取っ掛かり」はあるものの)真相は推理では到達し得ない所にあったから、アンチ・ミステリのジャンルに入れて良いのかもしれない。

「わたしの調査に手加減はない」とはいえ、物事には自ずから限界というものがある。今回間宮さん演じる岡田警視は探偵の葉村が導き出した「誤った真実」を軌道修正させ「真実」へと導く役目だったが、前回述べた「ミステリとして着地させる役割」と相まって、彼の存在がより人ならざるものに近づいているような気がするのは気のせいだろうか…。

ゲゲゲの鬼太郎(6期)第91話「アンコールワットの霧の夜」視聴

そういえば昔、電波少年の企画でアンコールワットまでの道を舗装する企画がありましたね。

「だから何だ」って話ですが。

 

アンコールワットの亡霊」

今回は2期に放送された「アンコールワットの亡霊」のリメイク。

 原作は鬼太郎が登場しない短編アンコールワットの女」。原作の方は未読だが、2期のアニメは数年前に視聴している。記憶が確かならば、森本という男性が、ワランという娘の行方を探して欲しいと鬼太郎に依頼する所から始まったと思う。

森本は四年前、アンコールワットの遺跡を調査中にワランと知り合うが、霧の夜にワランは日本人の武者姿の亡霊によって連れ去られてしまい、そのまま行方不明になる。鬼太郎は森本と地元警察の要請によって、亡霊によって連れ去られた女性たちの行方を追う。

アンコールワットに武者姿の亡霊というミスマッチの妙と、亡霊たちの目的を探っていくミステリ仕立ての物語が大変印象深かったが、この話をより楽しむには「江戸時代初期に海外移住した日本人」に関する歴史的背景を知っておかなければならない。2期では一応その背景に触れているが、今期はほとんど言及されなかったので念のため紹介しておくことにしよう。

 

「江戸時代初期に海外移住した日本人」に関する歴史的背景

時は徳川幕府の時代までさかのぼる。徳川幕府といえば鎖国体制の印象を持っている方もいるだろうが、幕府の初期の外交政策キリスト教は禁止していたものの、平和的な貿易は奨励するという方針であった。

そのため、日本人の海外進出も盛んであり、ルソン・トンキン・アンナン・カンボジア・タイなどに渡航する商人も多かった。幕府は彼らに海外渡航を許可する朱印状を与え、朱印状をもらった商船は朱印船として貿易を行った朱印船貿易

朱印船貿易が盛んになると、海外移住する日本人も増え、南方の各地に自治制をしいた日本町がつくられた。

その頃に海外移住した日本人の中で最も有名なのが山田長政である。

ja.wikipedia.org

彼は1612年に朱印船でシャム(現在のタイ)へと渡航。後にアユタヤ朝(タイ)の首都アユタヤの日本町の長となり、リゴール(六昆)の太守(長官)となったが、1630年に政争で毒殺される。

senjp.com

山田長政は出生地や死因について諸説あり、歴史的事実として疑わなければならない部分もあるが、今回はそれがメインではないので割愛。

山田長政にはオインという名の息子がおり、長政の死後はカンボジアへ亡命。しかし、カンボジア国内における王位継承問題に巻き込まれて死亡してしまう。そしてアユタヤにあった日本町も衰退の一途を辿ったそうである。

 

以上、『詳説日本史 改訂版』(山川出版社)の記述も参照しながら当時の歴史的背景を振り返った。これで、海外で日本人の武者姿の亡霊が出るという原作やアニメの設定が理解出来たのではないだろうか。

アニメでは、長政の息子オインが築き上げた村で起こった悲劇が、亡霊による誘拐騒ぎの発端となる。

 

カンボジアの敵を東京で討つ

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

今回の脚本は長谷川圭一氏。前半部は2期の展開を踏襲し、後半はオリジナルの展開にしているのは去年放送された「霊障 足跡の怪」と同じ。

人間関係と名称が2期と若干異なっている部分があるのでおさらいしておくと、2期で森本が知り合ったワランは、今期ではソリカという名で登場。また、2期でオインは自分の娘を誤って殺してしまうのだが、今期はオインに誤って殺されてしまう女性は娘ではなくオインの妹に改変されており、ワランという名がついている。この辺り、ややこしいので混同しないように注意。

 

2期と共通しているのは、戦乱が原因でオインが身内を誤って殺したこと、その身内の魂を見つけるために四年に一度の2月29日に亡霊たちが女性を連れ去っていたこと。それ以外は別の展開となっている。

2期では(一応伏せ字)山田長政によって国の乗っ取りを阻止され滅ぼされた子孫の霊が、長政の息子オインに逆恨みをして、オインの娘の魂を井戸に隠し、オインたちが成仏出来ないようにしていた(伏せ字ここまで)という真相が終盤で明らかとなる。戦争の絶えなかった時代における「憎悪の連鎖」が生み出した事件と言えるだろう。

 

そして今期は、腑に落ちない発言や行動を伏線として配置し、ミステリ形式の謎解きにすることで、「オインの遠大な復讐」を明らかにしている。

 

(以下、アニメのネタバレあり)

 

1968年2月29日、新婚旅行でカンボジアを訪れた本郷柊作とその妻沙羅。その日の夜に沙羅は亡霊に連れ去られ、オインの元に辿り着く。ここでオインは、沙羅が妹ワランの生まれ変わりだと気づくが、同時にオインは悲劇の発端がワランの恋人ケムラによる裏切り行為だと知り、更にケムラの生まれ変わりが沙羅の夫である本郷だということも知る。(この場面で沙羅が鬼太郎の方を指さすが、実際に示したのは本郷=ケムラだった)

ここでオインは思いつく。このまま成仏するのは癪だ。愛する者を失う悲しみをケムラ(=本郷)にわからせてやる。その復讐として、まず沙羅と他の女性を解放した。

そして1972年2月29日、沙羅のたっての希望通り、舞台「アンコールワットの霧の夜」が開演。沙羅は服毒自殺を遂げる。そして本郷は、今際の際に沙羅が言った「霧の夜を思い出して」を聞く。(実際には「裏切りの夜を思い出して」と言った)

それから48年後の2020年2月。末期の肺ガンで余命いくばくもない本郷は、最後にもう一度「アンコールワットの霧の夜」を開演。過去を再現することによって、妻が何故死んだのか、その真相を掴もうと足掻く。

 

今期のオインの復讐には二つの目的がある。一つは、愛する者を失うことの苦しみを味わわせること。そしてもう一つは、「何故愛する者が死ななければならなかったのか」という「不条理な死」に対する答えが見つからない苦しみを味わわせること。オインは52年の歳月をかけて、本郷(=ケムラ)に自分が味わった二重の苦しみを与えたのである。

 

日本のことわざに「江戸の敵を長崎で討つ」という言葉がある。意外な場所や筋違いなことで、以前受けた恨みの仕返しをすることを例えたことわざだが、今回の場合はさしずめカンボジアの敵を東京で討つ」と言うべきだろうか。

愛する妹を殺してしまった無念と恨みから、生まれ変わったケムラの魂に対して復讐を遂げるオイン。ワランだけでも助かって欲しいと密約を交わすケムラ。オインもケムラも(行動の是非は抜きにして)愛する者のためにとった行動なのだから、「当時の戦乱が悪かったのだ」と割り切り赦せれば良かったのだが、そう単純に割り切れないのが人間の性なのだよな。

 

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©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション

「ケムラの業」は死後の世界で清算されることなく、生まれ変わった本郷の魂に持ち越され、最後は本郷の死によって清算された。何とも気の長~い因果応報譚である。

 

蛇足

・今回の脚本には「歪んだ憎悪」(ほうこう)や本人に落ち度のない「呪縛」(足跡の怪)、愛する者の死に関する「因果応報」(魍魎)といった、これまで長谷川氏が担当した脚本回の諸要素が詰まっている。そういう意味で、今回の脚本は長谷川氏の集大成だったと考えて良いのかもしれない。

・終盤、沙羅(=ワラン)の魂がまなに乗り移って真実を述べた。ここに来て名無しの回や伊吹丸の回で言及された、拝み屋の家系で憑坐体質の設定が活かされたのは良かったと思う。まながこの事件に関わったことも運命のいたずらだったのかもしれない…。

 

 

次回登場するのは天邪鬼。事前情報で脚本を担当するのは伊達さんだと聞いたが、天邪鬼回は4期という名作があるからな。この原作に挑戦するのは結構ハードル高いよ。

“別解潰し”の不徹底さに不満が残る「アリバイ崩し承ります」1話(ネタバレあり)

アリバイ崩し承ります (実業之日本社文庫)

8年ほど前に、フジテレビの月9で密室殺人専門のミステリドラマ鍵のかかった部屋が放送された。

そして今年、テレビ朝日の深夜枠でアリバイ崩し専門のミステリドラマ「アリバイ崩し承ります」が放送されると聞いた時は、「鍵のかかった部屋」と双璧をなすミステリドラマになるやもしれぬと仄かな期待を抱いていた。

 

初回の感想をTLで見ていると、結構評判は良かったが、個人的には不満が残る所があって手放しに褒められないのが正直な感想。

後程この不満点について言及するが、これだけ周りが高評価だと自分の不満が自身の狭量さから来るような気がして少々いたたまれない。そもそも月9枠と深夜枠を比較するのは酷な話だし、予算面から言って再現出来る度合いも変わるのだから、比較対象として持ち出す自分が馬鹿だったとは思う。

とはいえ、より洗練された謎解きにハマってしまっている私としては、今回の構成に納得がいかない所もあるので、一応批判も覚悟の上で不満を述べたい。

 

(以下、原作・ドラマのネタバレあり)

 

原作『アリバイ崩し承ります』について

原作は大山誠一郎氏による短編集。物語の始まりは以下の通り。

那野市の鯉川商店街にある美谷時計店では時計修理や電池交換だけでなく、アリバイ崩しをしてくれるという不思議なサービスを行っていた。たまたま時計の電池交換のためにそこを訪れた新米刑事の〈僕〉は、店に貼られた「アリバイ崩し承ります」を見て、店主の美谷時乃にかねてから刑事たちの頭を悩ませている殺人事件のアリバイ崩しの依頼をした…。

 

現在は短編集として発売された7編に加えて、ネットで公開されている第二シリーズの2編の計9編を読むことが出来る。

j-nbooks.jp

※公開は終了してます。第二短編集は単行本で読むことが出来ます。

(2024.03.12 追記)

 

物語の形式としては至極単純で、どの話も基本「〈僕〉が時乃にアリバイ崩しを依頼→〈僕〉による事件の概要説明→時乃による真相解明」で進む。また、この短編集はアリバイ崩しに特化した短編集のため、メインは謎解きの面白さにある。そのため主人公である〈僕〉の名前は不明であり、性格も特別クセがない。探偵役の時乃にしてもわかっているのは二十代半ばの女性でウサギを思わせる雰囲気があり、祖父の衣鉢を継いでアリバイ崩しを含めた時計屋稼業を担っているというくらいの情報。つまり、キャラクターの面白さで読ませるようなミステリ小説ではないということだ。

 

あ、一応「アリバイ崩し」形式のミステリが何かピンときていない方のために、いわゆる「犯人探し」形式のミステリとの違いを説明しておくと、まず前提として容疑者候補が限定されており、犯行動機もはっきりしている点が挙げられる。犯人当てや動機をメインとしたミステリは、基本容疑者たちのアリバイは曖昧であったり、被害者を殺す動機が不明(逆に誰もが被害者を殺す動機がある場合も)なので、死体や現場の状況・人間関係を捜査していくことで犯人を追い詰める。

ただ、「アリバイ崩し」形式のミステリは、死体や現場の状況・人間関係を捜査していく点は同じだが、早々に容疑者が絞られ犯行動機も明らかとなる。ただし、容疑者には被害者が死亡した時刻に別場所にいた、或いは殺害に要する条件を満たさない状況下にいたことが明らかとなる。

「どう考えても犯人はコイツなのに、犯行が不可能なんて、そんなはずがない」という登場人物の思いが物語に出てきたら、それは「アリバイ崩し」形式のミステリと思ってまず間違いない。

ただし、注意しておくが「アリバイ崩し」形式のミステリと「犯人探し」「動機探し」形式のミステリは別ジャンルではない。「アリバイ崩し」は「犯人は誰か?」という広いミステリ小説の枠内に収まっており、「アリバイ崩し」形式の作品でも「犯人探し」「動機探し」形式のミステリを作ることは出来るのだから。

 

「時計屋探偵と死者のアリバイ」

ドラマの1話に相当するのは、原作の3話「時計屋探偵と死者のアリバイ」。なぜ原作の1話ではなく3話を初回に選んだのだろうかと思ったが、これは本作が一般視聴者が思うようなアリバイ崩しものではないことをアピールするためにこの話をチョイスしたのではないかと思っている。

 

偏見になったら申し訳ないが、大体「アリバイ崩し」形式のミステリに明るくない一般視聴者にとってアリバイ崩しは「列車の時刻表を突き合わせて、分単位のアリバイを検証するような、辛気臭い上に情報処理だけで脳がヘトヘトになるシロモノ」だと思われている向きがあると思うし、かつての私も「アリバイ崩しものはトリックが地味で意外性に欠けるから特別読みたくはない」と思っていた時期があった。

勿論現在はアリバイ崩しにも数々の名作があることを知っているのでそんな偏見はなくなっているものの、やはりアリバイ崩しをミステリ初心者に、それもドラマ限定でオススメするとなると、コレといった作品が頭に浮かばない。

 

そんな訳で、この度『アリバイ崩し承ります』がドラマ化することを聞き、初回に原作の3話を持ってきたことについて、私は本格ミステリに興味を持ってくれる人を増やす意義があるという点で評価したい。また、原作は探偵役の時乃が店から一歩も出ずに事件概要を聞くだけで真相を暴く、安楽椅子探偵形式の物語なのだが、流石にドラマだと画面に動きがなく地味になってしまうきらいがあるため、時乃を活発的なキャラに改変し、刑事もキャリアの管理官国会議員の息子といったオリジナリティ溢れるキャラにしている。この改変で「動的なミステリ」として今後良い形で作用していくだろうと期待している。

 

ちなみに、本作の主人公・時乃を演じる浜辺美波さんは映画「屍人荘の殺人」でも探偵役を演じている。「屍人荘の殺人」でミステリに興味を持った人もいるだろうから、浜辺さんがこの作品に出演することは、ミステリに興味を持った「顧客」を更なるミステリの沼へ引きずり込むことに貢献していると思っている。

 

不徹底な「別解潰し」

前置きが長くなったが、ここでようやく今回の物語について解説。

今回特筆すべき点は何といっても「犯人(と思しき人物)の奥山新一郎がいきなり刑事の面前で死亡する」点だろう。本来アリバイ崩しものにおいて犯人は最後まで生き残っているのが定石なのだが、本作では奥山が事故という奇禍に遭い、殺人の告白をして死亡。告白通り被害者が見つかり犯行動機も明らかなのだが、奥山にはアリバイがあることが判明。奥山を叩いてボロを出させようにも、死人に口なし。後に残ったアリバイをどう崩すかが今回のポイント。この時点で従来のアリバイ崩しものとは違うってことがわかるよね。

事件の構図についてはほぼ原作通りなのでここでは深く言及しない。違う所といえば、奥山が事故に遭ったのが原作だと夜8時なのに対し、ドラマでは夕方4時に変更されているくらいだろうか。それに伴って宅配便の到着時刻や香澄の死亡推定時刻もズレている

謎解きのプロセスもほぼ原作通り。奥山と察時の会話における違和感から誤解と偶然によるアリバイを導き出す過程は鮮やかだし、それが意外な犯人の出現につながるのも巧い。そのため、事件と解決方法に問題はないのだが、ここで序盤に述べた「不満」が出てくる。

 

その「不満」についてだが、元々原作では解決に移る前に刑事たちの間で奥山のアリバイを検証する場面がある。「事故に遭遇した時刻に狂いはなかったのか?」「死体の死亡推定時刻が偽装されたのではないか?」「死体を移動させた可能性は?」「共犯者がいれば可能なのでは?」という具合に様々な可能性が検討されるが、奥山の左頬の傷・死体発見現場の状況・事故という「偶然」によってその可能性は悉く否定される。

こうして「別解」が潰されていくことで、奥山のアリバイがいかに強固で崩しがたいものなのかが強調されると同時に、謎が解けた時のカタルシスがより爽快なものとなる。しかしドラマにおける奥山のアリバイ検証は「共犯者説」と「車移動にかかる所要時間の実験」程度に留まったため、アリバイ検証が不十分な上に「別解潰し」が徹底していない。そのため、原作と同程度のカタルシスを味わうことは出来なかった。

まぁ、これに関しては原作未読者がドラマを見て、CMの間に別解を考える余地を与えるため、あえて劇中で検証をしなかったと好意的に解釈することも出来るので厳しく批判はしない。ただ、不満点はこれだけではない。

 

原作におけるサプライズは「アリバイトリックなど存在せず、誤解と偶然によってアリバイが生じてしまった」点に集約されるが、そのメインのサプライズの核となるのが「奥山の耳の障害」である。

原作の時乃は「奥山さんのアリバイは、崩れました」と言った後に、奥山と刑事の会話の違和感から「奥山は耳が不自由だった」と推理する。このファースト・サプライズから派生して明らかになる真相、そのサプライズの連鎖が心地よかった。

しかし、ドラマの時乃は「奥山さんのアリバイは、崩れました」と言う前に、奥山のかかりつけ医院で彼に耳の障害があったことを明らかにしてしまう

つまり、解決部に至る前に「耳の障害」というサプライズを明かしてしまったことで、サプライズの連鎖が分断されてしまったことが、私には何だか勿体なく感じられたのだ。また尺の都合とはいえ、奥山が耳の障害を隠していた理由がカットされたのも残念。

他にも被害者の行動に対する疑問が原作では説明づけられているのだが、それもカットされている。こういった細々とした不満が結晶となり大きな不満となってしまったのだが、気にならない人は気にならないだろうし原作を読めば良いだけの話なので、こういうことをイチイチ指摘するのは狭量なのだろうか…と思う自分がいる。

 

※アリバイ検証の材料となる死亡推定時刻、その他諸々の時刻については以下の通り。

・原作

香澄の死亡推定時刻…19:30~20:00

奥山が事故に遭った時刻…20:00

奥山宅→香澄のマンション…車で片道20分(往復40分)

奥山宅に宅配便が到着…19:20

事故現場…奥山宅近くの路上

タイムオーバー…5分

 

 ・ドラマ

香澄の死亡推定時刻…15:30~16:30

奥山が事故に遭った時刻…16:02

奥山宅→香澄のマンション…車で片道30分

香澄のマンション→事故現場…車で片道30分

奥山宅に宅配便が到着…15:20

事故現場→奥山宅…目と鼻の先

タイムオーバー…23分

原作では5分というタイムオーバーによってアリバイが成立してしまっているが、5分だと誤差の範囲だと突っ込まれる恐れがあったのか、それとも奥山に犯行が不可能だということをわかりやすくするためか、ドラマではタイムオーバーの時間を大幅にとっている。

 

「アリバイ崩し」ミステリの紹介(トリッキーなアリバイ崩し)

当ブログは少しでも多くの方にミステリの面白さを知ってもらいたいと思って、これまでにミステリ小説やドラマの感想記事をいくつかアップしている。このドラマはアリバイ崩しがメインなので、それに倣って私がこれまでに読んだオススメの「アリバイ崩し」ミステリを紹介していきたい

ドラマ1話の原作「時計屋探偵と死者のアリバイ」は実にトリッキーなアリバイ崩しだったから、今回紹介するのもトリッキーなあのお方の作品にするとしよう。

 

貴族探偵 (集英社文庫)

麻耶雄嵩「トリッチ・トラッチ・ポルカ」(『貴族探偵』所収)

本格推理でありながら、待ち受ける真相はとびっきりにイカれている。そんなトリッキーな物語を繰り出す麻耶先生の作品からこちらをチョイス。2017年に相葉雅紀さん主演で月9ドラマ化された作品だから、ミステリ初心者に関わらず聞いたことがある作品のはず。

ドラマの方はアリバイ崩しの形式で物語が進まなかったが、原作はれっきとしたアリバイ崩しの形式で話が進む。知らない人のためにあらすじをざっと説明すると以下の通り。

東北地方の小都市の廃倉庫で女性の他殺死体が発見された。死体は頭と腕を切断されており、警察は身元不明の死体として捜査を開始することになったが、しばらくして河原に埋められた被害者の頭部と腕が発見され、被害者の身元が特定される。更に事件の重要容疑者として高校教諭の浜村が浮上する。彼は河原に被害者の頭部と腕を埋めた所を目撃されており、被害者から恐喝されていたのだ。しかし浜村には被害者の死亡推定時刻にアリバイがあった…。

ここから先は二人の刑事によるアリバイ検証となる。勿論、浜村のアリバイが崩れて事件解決!…なんて分かりきった展開にはならないのでそこは御安心を。

ちなみに題名にもある貴族探偵探偵にもかかわらず推理をしません。なんじゃそりゃって思うかもしないが、まぁとりあえず読んでみそ。